PHOTO/表紙・舞台写真:川面健吾
インタビュー写真:大橋泰之(マカロニ写真事務所)、溝口明日花(マカロニ写真事務所)
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―山田さんは子役からキャリアをスタートさせていますよね。
山田 姉が児童劇団に入っていて、私もその流れで入団したのが始まりでした。小学2年生の時には、帝国劇場で上演された『レ・ミゼラブル』にも出演したことがあります。一度は学業に専念するために退いたのですが、進学した高校が文化祭で演劇に力を入れている学校で。全学年全クラスが必ず一演目ずつ上演することになっていたんです。本番は夏休み明けだったので、夏休み中もみんな学校に通っていて。私も美術をしたり、ダンスを習っていたので振付をしたり、演出をしたりと何でもやりました。みんなで一つのものを創り上げる楽しさをあらためて実感することができました。この経験から「表現すること」を大学でも学びたいと思い、立教大学の現代心理学部映像身体学科に進み、自主映画のサークルやゼミに所属しました。
―脚本を書くようになったのは、そうしたゼミやサークルでの活動からですか?
山田 新歓合宿で映画を撮るから新入生も脚本を書いてみて、と言われて書いたのが初めてでした。これまでやったことのなかった映像編集や、監督なども経験し、ものづくりの楽しさや、裏方の仕事への興味を募らせていきました。私が書き下ろした一人芝居を大学のホールで上演したこともありました。これが、自分で創作した初めての演劇で、贅沢貧乏の旗揚げ公演になりました。
―贅沢貧乏は2012年に立ち上げていますね。
山田 前年には東日本大震災があり、ボランティアで現地にも行きました。あの頃、震災によって引き起こされた原発事故もあり、世の中は混沌としていて、当時まだ参政権を持っていなかった私は、「どうしてこんなことになっているのだろう」と、政治への強い不信感を抱いていました。社会全体が希望を持てない状況だったと言いましょうか。こうした社会情勢が劇団設立に直接関係しているわけではありませんが、社会と自分自身の関係を無視することはできない、と強く感じていました。
―普通に生活する上でも、社会と切り離して考えることができない、ということを痛感した時代でもありましたよね。
山田 あそこがやはり世の中の分岐点だったのだと思います。

―世の中が混沌とした時代の空気感として、コロナ禍も近いものがあったと思うのですが、山田さんはあるインタビューで、あの頃は「健康のために演劇をした」と言っていました。
山田 2020年はちょうど劇団が軌道に乗っていた時でした。新年の目標も掲げ、「売れていくぞ!」と意気込んでいた矢先でした。決まっていた公演が次々と中止になり、劇団員もアルバイトの仕事が激減し、生活基盤そのものが脅かされる状態になってしまいました。私たちだけではなく、世間全体が落ち込んでいたあの頃、公演が決まっているわけではないけれど、自然と劇団内で密に連絡を取り合うようになっていたんです。互いの生活を心配し合ったり、情報交換をしながらメンタルを支え合うなど、生命を維持するためのコミュニティとして劇団が機能していたんです。
―劇団の存在そのものが心の拠り所になっていったのですね。
山田 コロナ禍中、「今できることをやろう」と配信を始め、活発に行動を起こす劇団も多くありました。私たちはそうした活動に敬意を持ちながらも、何よりも心身の健康が最優先だと考えるようになりました。毎年新作を上演する、活発に公演を打ち続ける、といったことではなく、極端な話、10年間表立った活動がなくても、劇団という存在自体があり続けられるというか。コロナ禍を機に、互いに話し合い、寄り添うことの意義を大切にする、無理のない活動をしていきたいというマインドセットに変わったと思います。ライフステージの変化、健康や幸せを大切にしながら劇団が存在し続けることで、自ずと良い作品も生まれると思うんですよね。無理をせず、互いに寄り添いあうことを大切にする、「やさしい劇団」になったと思います。結果論ではあるけれど、コロナ禍は劇団にとっても良い転換期になったと思います。
―山田さんは昨年からヌトミックの額田大志さんと共に『今、劇団をつづけること』というトークセッションを始めています。これは、そうしたコロナ禍の経験から始まったものなのでしょうか?
山田 これはまた少し異なるきっかけで。贅沢貧乏として、上演というゴールがあるわけでもなく、ギャラが発生するわけでもない、純粋に自分たちの鍛錬のために集まり、試行錯誤していた時期があったのですが、この時に「こういう活動は劇団じゃないとできないものだ」と感じたんです。「自分にとって必要だから」と好きで集まる劇団員がいることに、劇団の価値や尊さをあらためて実感しました。贅沢貧乏は設立から10年以上経ちました。10年間で築き上げた関係性やコミュニティは、一朝一夕には作れないものです。簡単に作れるものではないものが、手元にあるんだという喜びを額田さんに話したところ、彼もまた劇団の存在に感謝していたことから、そうした喜びを語り合うイベントをやりたいね、と提案してくれたんです。

―なるほど!劇団を続けることの難しさを語り合うイベントではなく、劇団を続けることの喜びを語り合うイベントなのですね。
山田 劇団を続けることの難しさはよく語られるけれど、劇団の良さの部分について語る場はないよねって額田さんが言っていたんですよね。コロナ禍で活動が制限されていたあの頃、私がもし一人で活動していたら演劇そのものをあっさり辞めてしまっていたかもしれません。劇団という場があったからこそ、今も演劇を続けられているのだと思っています。最近は俳優が所属していないタイプのユニットもあったりと、劇団のあり様もミニマム化しています。ナイロン100℃や唐組など、多くの劇団員を抱える団体が少なくなってきている時代だからこそ、俳優を抱えている劇団の重要性について、もっと深く話していきたいと思っています。
―SNS上でKERAさんがこのトークセッションに興味を示していることを見かけました。
山田 そうなんですよ!もう、びっくりしちゃって。実は最終的にKERAさんを呼びたいという目標にしていたイベントだったもので、嬉しくて……!こんなに早く気にしていただけるなんて驚きました。KERAさんが商業主義によりすぎず劇団をいうものを大切に長く続けられたことに、私は敬意や憧れがあるんです。実現できると嬉しいです。
―今回、贅沢貧乏にとって北海道初公演となる『わかろうとはおもっているけど』は、2019年が初演です。あらためて、作品の創作のきっかけを教えてください。
山田 この作品は私が27歳の時に書いたものです。20代も後半に差し掛かると、これまでとは異なり、女性の生き方や結婚、出産といったものが自分ごととして迫ってくるようになりました。「早く結婚しなさい、出産しなさい」という圧力が、社会全体から自分に向けて発せられているんだ、と感じてきて。そうした中で、政治家による女性蔑視発言があり、これらの発言もまた、自分に向けられているものだと強く感じはじめました。同時に、フェミニズムに関する本を読んでいた時期でもあったので、二つの激流が私の中に入ってきた感覚でした。男女平等とはいうけれど、「産む身体」と「産めない身体」という決定的な性差は絶対に埋められません。だとしたら、その決定的な違いがあったうえで、私たちはどこまで互いに寄り添えるのだろうか、ということを考えていかなければならない。女性が差別され、優遇されていないことはもちろん大きな問題です。しかしそこから一歩進んで、「どうしたら良い方向に進めるのか」「どうしたら分かり合えるのか」ということを見つめたいと考え、作品のテーマとしました。
―妊娠によって女性に起こる心身の変化への戸惑いに対して、男性も決して悪意を持って接しているわけではないのに、なかなか分かり合えない様が非常に繊細に描かれていました。初演時の反応はいかがでしたか。
山田 本当にさまざまな声が届きました。反省モードに入る男性もいましたし、性差によって埋められない溝が寂しいと感じる方もいたり。他の話題では男女関係なくわかり合えていたのに、この作品では意見が異なってしまう、という声もありました。女友達が、「これは彼に見せなければならない!」と彼を送り込んでくることもありました(笑)。「この人に見てほしい!」と具体的に思い浮かぶ作品だと思います。

―観劇後に話し合いたくなる作品ですよね。
山田 そうなんです。女性に向けた作品というよりは、さまざまな世代、多様なセクシャリティの方に観てもらいたいと思っています。そもそも、悪意を持って他者を傷つけようとする人なんて、ごくひと握りだと思うんです。多くの場合は、想像が至らなくて間違えてしまったり、意図せず誰かを傷つけてしまっているだけで、社会にいる誰もが、より良くしようと思って行動しているはずなんです。でも、その行動の多くが、男性に偏ったジェンダーバランスのもとに行われているため、女性の視点や意見が反映されていないという問題がある。それは、良い社会を望んでいるはずなのに、相手の立場を想像するきっかけがなかっただけだと思うんです。どれだけ互いをわかろうと努力しても、わかりきることは難しい。その限界を理解しながら、コミュニケーションを取り続けるしかないんですよね。女性も年代によってさまざまで、中にはフェミニズムという価値観に拒否感を持つ女性もいます。でもそれは、これまで刷り込まれてきたものとは異なる価値観を目の前に提示され、急に「それは女性差別だ」と言われたら、自身の人生を否定された気持ちになるからだと思います。男性もまた、「男らしくあるべき」という刷り込みのもと、それが正しいと信じて頑張り、女性を養うべきだと思って生きている場合もあります。年代や性別も含め、異なる刷り込みのもとで生きていた人たちに、ひとくくりに「平等」を強いると無理が生じてしまう。だからこそ、刷り込まれてきた時間も含めて想像し、尊重し合いたい。『わかろうとはおもっているけど』というタイトルには、そうした想いを込めました。
―劇中の男性は、優しくて理解のありそうなタイプなのですが、後半、ある仕掛けによってこれまで感じていたものが一転しました。
山田 実は、稽古場でも彼のことをかわいそうだ、という声もあったんです。けれど、その後半のシーンになると彼のことを「ムカつく!」と言い出して(笑)。みんな、自分に刷り込まれていたバイアスにそこで気づくんですよね。私自身もまた、そうしたバイアスを刷り込まれていたことに、書きながら気づきました。
―初演から6年が経ちましたが、山田さん自身にも変化はありましたか。
山田 この作品を書いていた当時、私もまだフェミニズムを考え始めたばかりでした。それまでは、自分が女性らしく見られることが嫌で、どちらかというと性を扱いたくはなかった。けれど、社会の中で女性としての役割を求められるようになった時、そこに対抗していかなければならない時代が私の中で始まったんです。この作品は、戸惑いながら書いていたので繊細さがあるんですよね。あれから6年以上が経ち、私の中にはもう戸惑いはなく、だいぶ強くなりました。社会には、さまざまな地点にいる人がいて、今もなお戸惑っている人が当然います。だからこそ、あの当時の私の戸惑いを書いておいて良かったとあらためて思います。

―作品を描く際、さまざまな社会問題と向き合わざるを得ないと思うのですが、そこに辛さはないのでしょうか。
山田 脚本を書くことは、ある種「自由研究」に近いんです。この作品だけではなく、自分が考えなければならない題材を勉強し、飲み込み、自分なりにアウトプットする、このプロセスが研究に近いと思っています。
―山田さんの作品は、片方の立場に偏ることのないバランスが保たれていますよね。
山田 主人公にとって〝言われたくないこと〟を言う人物を配置する際、その人物がなぜそんな発言をするのかを考えなければならない。つまり、自分の立場だけではなく、この世界にいるあらゆる人の立場を想像し、彼らの考えや信念がどのように形成されたのかを深く掘り下げ続けなければならないんです。私たちは、批判ではなく、解決を目指しているわけですから。脚本を書くという仕事を通して学ぶことは、今後誰かを傷つける可能性を自分で減らせるということだなと思います。例えば、ある病気のことを書かねばならない時、徹底的に調べますよね。それによって、私はその病気を深く知ることができ、今後、無意識に誰かを傷つけずに済む。それは私の人生にとってとてもありがたいことだと感じています。
―「自分は細かいことを気にしないよ」と傍観することが、なぜか寛容とされてしまうこともある中で、山田さんはあらゆる差別に対して声を上げることを諦めないという印象があります。
山田 先日、豊岡演劇祭で『バタフライ・プロジェクト』という作品を見ました。これは、アジアンヘイトや、LGBTQ+などの問題を意識しながら『蝶々夫人』を考える、というもので、すごく面白かったんですけれど、沈黙をして傍観者になるか、そうじゃないかは、その日の観客にかかっている、ということを最後にメッセージで伝えてくれるんですよね。作品そのものが素晴らしかったから、全然押し付けがましくなくて、それがすごく良かった。傍観してしまうということは、加担をしていることになってしまうんですよね。けれど、どうしたって声を上げる体力がない時もあるのは理解しているので、声を上げることを強制はしません。ただ、私は今、これまでの仕事の経験上、ある程度の説得力を持って声を上げることができるんですよね。言える立場にいる以上、その責任は果たしていこうと思っています。
―この作品は、2022年にパリで上演されています。観劇にシビアなパリでは面白くないと判断したら途中退席が当然とされていると言われていますが、この作品は連日満員で大盛況でした。パリは日本に比べて、人権意識や女性の権利に対しても進んでいるイメージでしたが、実際、いかがでしたか?
山田 パリは日本に比べると進んでいる部分はもちろんありますが、男性優位主義は依然として残っていて。表面的には日本よりも改善されているように見えますが、根本の意識を変えるのはどうしたって時間がかかるんですよね。コロナ禍でリモートワークが普及した際も、圧倒的に女性のほうが家事をしていることが多かったというデータもあります。でもそれって、私たち女性も意識の中に染み込まれているものなんですよね。お茶を入れるのも、食事の支度をするのも、男性は座ったままで、女性は立ち上がってキッチンへと向かう。政治がどうということではなく、自分の中に染み込んでしまっているんです。

―この作品はそうした課題に真摯に向き合う作品であると同時に、非常にコミカルで声を上げて笑うシーンがいくつもありました。異なる立場、異なる考えによる会話と会話のすれ違いって、実は演劇で表現すると非常にコミカルですよね。
山田 そうなんです! パリの劇評で「演劇で学ぶ、やさしいフェミニズムの入門書」と評していただいたのも、コミカルで抵抗なく見られるという点での評価でもあったのだと思います。フェミニズムと聞くだけで、「怒られている気がする」「真面目な作品なんでしょう」と、遠ざかってしまう人も一定数いると思いますが、フェミニズムという言葉に引きずられず、「フライヤーのビジュアルが良い!」とか、気軽な気持ちで劇場に足を運んでもらってもいいんです。事前に勉強なんて不要だし、大学で上映したこともあるのですが、大学生の反応はすごくビビッドで最高でした。
―贅沢貧乏のWEBサイトで、最新作『おわるのをまっている』の有料配信を購入できるようになっていますが、事前にあの作品を見るのも良いかもしれませんね。非常に面白くて、あの作品も笑いました!
山田 ありがとうございます!『おわるのをまっている』は、自分の季節性うつの経験をもとに、描いた作品です。うつによる不調という現象を、不思議に、そしてコミカルに描いた作品なので、こちらも見ていただけると嬉しいです。
―札幌公演が楽しみです。
山田 終演後に北海道出身の詩人・文月悠光さんとのトークショーもあります。文月さんとはお会いしたことはあるのですが、ゆっくりお話する機会がなかったので、今回文月さんのご出身地である札幌でお話できることが非常に楽しみです。札幌で公演するのは私自身初めて。たくさんの人に見ていただき、語り合っていただきたいです。

1992年東京生まれ。作家・演出家・俳優。2012年に劇団「贅沢貧乏」を旗揚げ、全作品の作・演出を担当。岸田國士戯曲賞最終候補2度ノミネート。舞台・映像・文筆と多方面で活躍し、国内外で注目されている。
[作・演出]山田由梨 [音楽] 金光佑実
[出演] 大場みなみ、山本雅幸、佐久間麻由、大竹このみ、青山祥子
[日時]2025年12月13日㊏18:00開演(★)・14日㊐13:30開演
※開場は開演の30分前 ※上演時間約70分
★12/13(土)終演後に山田由梨さんと文月悠光さん(詩人)によるトークがあります。
[会場]クリエイティブスタジオ( 札幌市中央区北1条西1丁目 札幌市民交流プラザ3階)
[チケット]
前売券 一般/3,500円 U25/ 2,000円
当日券 一般/4,000円 U25/ 2,500円
STORY
テル(大場みなみ)とこうちゃん(山本雅幸)はどこにでもいるような普通のカップル。あるとき、テルが妊娠した、という出来事から空気が変わり始め、彼女の友達(佐久間麻由)や、なぜか家にいるメイドたち(大竹このみ・青山祥子)を巻き込んでゆく。「女性」と「男性」の「わかりあえなさ」を「わかりあおうと」した先にあるものとは──。
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●公演に関するお問い合わせ
公益財団法人北海道文化財団
TEL 011-272-0501(8:45-17:30 土日祝除く)