北のとびら on WEB

特集

かがみ まど とびら

藤田貴大(マームとジプシー)interview

2021.07.16 UPDATE

『めにみえない みみにしたい』に続く子どもから大人まで楽しめる
演劇作品の第二弾『かがみ まど とびら』。
大きく変わるこの世界の中で、現代演劇界を牽引する若き才能が子どもたちに託す思いとは。
マームとジプシー主宰・藤田貴大さんに話を伺いました。

(PHOTO/井上佐由紀)


 

子どもたちは「未来の作り手」です

 
ー子どもから大人まで楽しめる作品を創作するにあたって、意識したことはありますか?

 作り方は普段と変わりませんが、大人が懐かしむような遊びを取り入れたり、シャボン玉などの視覚的な楽しさで子どもたちが飽きないようにするなど、演出に工夫をしました。

ー子どもを対象にした作品づくりに戸惑いなどはありませんでしたか?

 20代の頃、作品のモチーフとなっていたのは18歳まで暮らしていた実家や、故郷で過ごした「子ども時代の思い出」でした。岸田戯曲賞を頂いた『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』も、カントリータウンの物語だったのですが、この受賞を機に一度自分自身から離れなくてはいけないと思ったんです。ほどなくして、いわき総合高等学校の生徒たちと演劇を始めたり、大友良英さんと福島の中高生と共にミュージカルを発表するなど、今度は子どもたちと作品を作るきっかけが増えていきました。そして、自分自身の幼少期をモチーフにする作品づくりから、「子どもたちと作品を作る」という新しいベクトルが僕の中で生まれたんです。その流れの中で、子どもを対象とした作品を作るという話を頂いたので、すごく腑に落ちました。

 

 

ー子どもを視野に入れた作品づくりから得た気づきなどはありましたか?

 「子どもと舞台に立つ」から今度は「観客が子ども」になったことで、舞台上だけではなく、客席を含めたライティングを採用したり、上演中の観客との関わりをさらに増やすことを検討するなど、観客との駆け引きを役者も演出も含めたチーム全体で考えなくてはならないという意識が明確になりました。そして、これまでの自分はただ見せるだけの演劇を作っていたのではないだろうか?と考えるようにもなりました。大人が対象となる演劇を作る際にも、この経験は影響を与えていて、少し観点が変わった気がしています。

ー 『めにみえない みみにしたい』と『かがみ まど とびら』の共通点はなんでしょう?

 新たな試みなのですが、この2作は役者4人や、音楽の原田郁子さん、衣装のsuzuki takayukiさんなどチームが全く一緒なんです。舞台のサイズやパネルの数も同じ。見覚えのある舞台セットでも、蓋を開けてみるとまったく違う話という面白さを、観劇した子どもたちに感じて欲しかったんです。一見すると同じ舞台だけれど、ここを変えるだけでここまでニュアンスが変わるんだとか、演じる役柄でこんなにも役者の印象が変わるんだとか。演劇の作り方や、手触りを感じてもらえると嬉しいです。子どもたちは未来の「作り手」です。面白い演劇だった、だけでは終わってほしくないんですよね。

 

家の中から一歩も出られない中で行う夜の冒険

 
ー原田郁子さんとは何度も一緒に作品を作っていますよね。

 原田郁子さんとは『cocoon(初演/2011年)』からの付き合いになります。この作品は「ひめゆり学徒隊」をモチーフに扱っていて、物語の中で子どもたちの命がたくさん失われてしまうんです。この作品をきっかけに、原田郁子さんとは常々「子ども」について考えていて、「次は、命が失われる物語を作るのではなく、子どもの未来に期待するような音を作っていきたいよね」という話もしていました。『かがみ まど とびら』では、対象が子どもだからといって、ファニーな音を散りばめるだけではなく、「自分たちが子ども時代どんな音を聞いていたか」ということに思いを巡らせ、時計の音をループさせたり、ほとんどのBGMを秒針のテンポと同じにするなど、仕掛けのある音づくりをしてくれました。

ー前作同様、今作も子どもたちの席と舞台がフラットになっていますよね。

 子どもを含めたひとつの風景を作りたいと思い、役者と同じ次元に子どもたちの席を設けました。物語を食い入るように見ていたり、時々集中力が切れてしまったり。そうした子どもたちの様子を、後ろから大人たちが見ているというのも重要なんです。子どもたちは、僕らが知ることのできない未来を生きていきます。そして、家庭をつくったり、ものをつくったりする、何がしかの「作り手」になるわけです。大人たちは舞台上のパフォーマンスと同時に、未来の作り手である子どもたちの姿を重ねて見ることで、何十年先の未来を想像するーーそんな景色をイメージしました。そしてそれは、未来の作り手たちへの祈りでもあります。

 

 

ー『めにみえない みみにしたい』との相違点は?

 物語は全く別物です。『めにみえない みみにしたい』は、「外に出て何かに出会う」という童話的なモチーフを使いました。もともと「次回作は外に一歩も出ない話をしたいね」という話をしていたんです。そうして、迎えた2020年。コロナ禍により、5月の上演が延期となり、子どもたちも学校閉鎖になりました。「本当に家から出られなくなったね」なんて原田郁子さんとも話したりして。『かがみ まど とびら』は、鏡や窓、扉を伝って家から家へとワープできる話です。家の中から一歩も出られない中で行う夜の冒険ですね。コロナ禍前に着想した物語ではあるけれど、今の時代に通じるものがありますよね。家の中で授業を受けたり、SNSで世間の様子を伺ったり、映画やアニメを鑑賞したり。僕たちは外に出なくても、誰かと繋がれる可能性があるんですよね。けれど、ここにも矛盾があって。観客のみなさんは、家から外に出て劇場に足を運び、演劇という表現に出会っています。劇中では「家にいても外と繋がれる」と言いながらも、実際には外に出てくれたことで、僕らは皆さんと出会っているんです。そこが美しい矛盾になっていると僕は思っています。

ー『かがみ まど とびら』も再演となりますが、コロナ禍を経た今、変わった部分などはありますか?

 テキストは今のところ変えようとは思っていません。けれど、コロナ禍により演劇の様子も役者の営みも変わりました。次の公演が打てるのかという不安定な状態でリハーサルを続けるなど状況は変わっています。演劇ができることはスペシャルなことだと常に思ってはいたけれど、今はより一層スペシャルだということを改めて感じていて。演劇における再演というのは、出演者たちはみんな2年、3年と歳を重ね、今朝のニュースをみんな見ています。テキストを変えなかったとしても、今という時間を無視することができないんですよね。演劇って変な芸術ですよね(笑)。

 

演劇は今という時間を無視することができない

ー藤田さん自身の変化はありますか?

 演劇にとって、コロナ 禍が与える影響は必ずしもネガティブなものばかりではないと思っているんです。演劇はものすごく難しい媒体になってきているのは間違いありませんが、同時に希少価値が上がった気がするんですよね。家から出て、コロナ禍の街の中を抜けて劇場で観劇し、再びコロナ禍の街を抜けて家に戻る。家族で観劇の感想を語り合う。僕らは、そうした希少な時間の提供をコツコツと続け、劇場でお客さまが来るのを待つことしかできません。劇場はお客さまとの待ち合わせ場所です。さまざまなリスクやハードルを越えて会いにきてくれるお客さまに対して、僕たちはその思いに応える準備や仕込みをしてお待ちしています。お客さまにとっても、僕らにとっても、演劇がこれまで以上にスペシャルなものになったと実感しています。確かに取り巻く状況は難しいけれど、チャンスでもある。そう考えるようになりました。

ー北海道での公演、非常に楽しみです。

 北海道に行くと、18歳の自分に再会する気持ちになるので、心がざわつくんです。生まれ育った北海道での日々は、僕自身の今のクリエーションに大きく影響しているから、子どもたちに舞台を見せることがとても緊張するというか。北海道は僕にとって、特別な場所なんですよね。


藤田 貴大
(ふじた・たかひろ)

1985年生まれ。マームとジプシー主宰、演劇作家。2007年にマームとジプシーを旗揚げ。象徴するシーンのリフレインを別の角度から見せる映画的手法で注目を集める。2012年に3連作『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』で第56回岸田國士戯曲賞を受賞。2016年、今日マチ子原作の『cocoon』(再演)で第23回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。演劇作品以外でもエッセイや小説、共作漫画の発表など、活動は多岐に渡る。2020年7月、初の小説集『季節を告げる毳毳は夜が知った毛毛毛毛』(河出書房新社)を上梓。

あわせて読みたい
トップページ
北のとびら on WEB
COPYRIGHT 2021.HOKKAIDO ARTIST FOUNDATION., ALL RIGHTS RESERVED.