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特集

さっぽろ人形浄瑠璃
あしり座三十年のあゆみ

矢吹英孝(さっぽろ人形浄瑠璃あしり座・代表)

2024.12.02 UPDATE

日本の伝統芸能・人形浄瑠璃を札幌から発信し続けている「さっぽろ人形浄瑠璃あしり座」。
北海道に人形浄瑠璃を根付かせたいという思いで発足して30年が経ちました。
あしり座のこれまでの歩み、そして見据える未来とは。
代表の矢吹英孝さんに話を伺いました。

PHOTO/舞台写真:若松和正、
表紙・インタビュー写真:大橋泰之(マカロニ写真事務所)、溝口明日花(マカロニ写真事務所)


 
―矢吹さんは大学時代に人形劇と出会っているのですね。

 大学進学で福島県から北海道に出てきた私は、何か表現活動をしたいと考えていて最初は演劇に興味を持ちました。けれど、子ども向けの人形劇や紙芝居を上演するサークルがあって、人数も多く活動も活発であることを知って。同郷の先輩も所属していたこともあり、乗せられるままにサークルに入りました(笑)。ただ、今になって考えると、子どもの頃から人形劇も絵を描くことも好きだったので、そのサークルは私に合っていたのだと思います。

―卒業後は一度、教職に就いているのですね。

 登別市で一度教師になったのですが、人形劇にすっかりのめり込んでいた私は、「人形劇を続けたい、続けるならばプロになりたい」という思いが強くあり、1991年に札幌市こども人形劇場こぐま座とやまびこ座を運営する財団法人に入りました。

 

 

―人形浄瑠璃との出会いはどういった経緯だったのでしょう?

 1994年にやまびこ座が開催した人形浄瑠璃講習会に参加したんです。というのも、1988年にやまびこ座が開館した際に、文楽人形作家の大江巳之助(おおえみのすけ)さんが製作した「梅川」と「忠兵衛」の文楽人形2体が寄贈され館内に展示されました。巳之助さんは「人形は飾るものではなく、動かし、舞台に上がってこそ生きるもの」と言われていたのですが、人形浄瑠璃の下地がない北海道には遣い手がおらず舞台に上がることができませんでした。そこで、本州から師匠を呼んで技術を学ぼうということになったんです。

―矢吹さんはそれまで、人形浄瑠璃に触れたことはなかったのでしょうか?

 テレビで見たことがあるくらいで、知識は全くありませんでした。講習会への参加も、最初は人形劇の勉強になるかもしれない、という軽い気持ちで。講習会の師匠は東京の人形浄瑠璃一座「八王子車人形」の家元・西川古柳師匠、参加者は私を含めて全員素人でした。

―まずはどのような練習から始められたのですか?

 人形浄瑠璃には決まった「型」があります。例えば、歩く、止まる、座る、お辞儀、左右を指差す、などです。その型を順番に覚えていくのですが、人形浄瑠璃は三人遣いといって、人形のかしらと右手を遣う「主遣い」、左手を遣う「左遣い」、足を遣う「足遣い」の3人で1体の人形を操ります。まずは手始めに足遣いの練習をひたすら繰り返しました。私たちは足マシーンと呼んでいたのですが(笑)、足だけを吊るした状態の人形で動きの練習をするんです。古柳師匠は来札しては4日間ほど教えて東京に戻り、1ヶ月後にまた来札する、を繰り返し、師匠がいない時は映像を見ながら自主練をしていました。

―講習会の翌年1995年に「さっぽろ人形浄瑠璃芝居あしり座」として発足しました。

 初舞台は講習会終了後の発表会だったのですが、私が操るのではなく、人形に私が動かされているような感覚でした。発表会を経て、講習会参加者の15名であしり座を発足しました。

 

 

―発足からの10年はどんな日々でしたか。

 北海道で人形浄瑠璃に取り組んでいるという活動が少しずつ認知され、公演の依頼も徐々に増えていきました。ただ、依頼に応えるだけの技術がないというジレンマがずっとあって。古柳師匠も頻繁に来て教えてくださっていましたが、師匠の不在時の練習がなかなかままならず。あしり座には新人が入ってきてくれていましたが、自分たちだけでは教えることができない。北海道で人形浄瑠璃を続けるにはまず教える技術が必須です。最初の3年間は指導者の育成を目指し、古柳師匠の協力を得て稽古を重ねました。教えるための技術と、公演を打てる技術の間で試行錯誤した10年間だったと思います。

―20周年に向けてはそこから変化しましたか。

 10年の月日を経て、ようやくもっと演目を増やしたいと思えるようになりました。「曽根崎心中」や「八百屋お七」など有名な演目を披露することで、より多くの方に見てもらえるようになりました。人形浄瑠璃の歴史が深い徳島県に昔住んでいたという方や、祖父母が義太夫をやっていたという方などが応援してくださって、毎回足を運んでくれる方も増えていき、少しずつですがお客様を増やしていくことができました。

―試行錯誤の10年から、20周年までの10年は普及に力を注いだ月日だったのですね。

 そうですね。また、発足からの20年間で力を注いでいたのは、子どもたちに教えることです。やまびこ座は子どもたちの劇場です。子どもたちにも関わってもらいたいと考えて、1999年にユースクラスをスタートさせました。子どもたちに教えるためには、より自分自身の技術も磨かなくてはならないので、自然とモチベーションも上がりました。

 


2024年6月、7月、9月に実施した子どもたちに人形浄瑠璃の魅力を伝える全3回のシリーズ「こども舞台体験プログラム ふれアート」では、三人遣いや、太鼓・銅鑼・あたりがねといった「鳴物」に挑戦。子どもたちは普段ふれることのない伝統芸能の世界に興味津々。
 

―あしり座は若手の座員が在籍していますよね。30周年を迎えるまでに大きな出来事はありましたか?

 やはり、オリジナル演目「大黒屋光太夫ロシア漂流記」を完成させたことです。淡路島に常設館を持つ「淡路人形座」という500年以上の歴史がある一座がいて、そこで毎年開催されている伝統芸能のフェスティバルに参加したことがあるのですが、全国の伝統芸能に触れて圧倒されたのと同時に、あらためてあしり座の成り立ちが特殊であることを再認識することができました。市民を対象に講習会をして、市民劇団のような形で立ち上がった人形浄瑠璃は北海道だけです。「どうやって成り立っているのか」と、注目も浴びました。「大黒屋光太夫ロシア漂流記」は、回船の船頭が漂流の末にロシアに渡り、長い年月を経てやっとの思いで根室港入りしたという史実を元にした物語。せっかくならば、北海道らしいもの、北海道でしかできないものを創り上げたいという思いから生まれた挑戦でした。

 

「大黒屋光太夫ロシア漂流記」はロシアに漂着し、帰国した最初の日本人・大黒屋光太夫の史実を元にした物語。洋装の人形にも注目したい。
 

―何百年も続く歴史の上に成り立つものとは違う、自由さがあしり座にはありますよね。

 歴史がないことはコンプレックスかもしれないけれど、むしろその自由さがあしり座の魅力であり、誇りでもあります。本来であれば10年、20年と長い稽古の末に舞台に立つものですが、あしり座は子どもたちも、若い人たちも舞台に立つ機会があるので新しく入ってくる人も続けやすいんです。10月の30周年記念公演では本公演とは別に若手を中心とした「若手会公演」も披露しました。伝統芸能は後継者不足に悩むことが多いと聞きますが、北海道にはそれがないというのも面白いですよね。

―昨年、「さっぽろ人形浄瑠璃芝居あしり座」から「芝居」の二文字を取り、「さっぽろ人形浄瑠璃あしり座」と名を改めました。

 人形浄瑠璃というのは、人形遣い、物語を語る「太夫(たゆう)」、三味線を弾く「三味線弾き」の三業一体。これらが息を合わせて観客を魅了していくわけなのですが、発足当初のあしり座は十数人の人形遣いのみ。この中途半端な状態で「人形浄瑠璃」を名乗るわけにはいかないと思い「人形浄瑠璃芝居」としたのです。ここ4、5年は太夫と三味線を担当する義太夫部を設け、あしり座の座員だけで演目を担う体制も整ってきました。「芝居」の二文字を取っただけですが、私たちにとってはとても大きな出来事。北海道に「さっぽろ人形浄瑠璃」を根付かせたいという決意の表れでもあるのです。

―30周年記念公演の第二弾が2月に控えています。

 2月の記念公演では「大黒屋光太夫ロシア漂流記」の全五段を披露します。完成した時がちょうどコロナ禍で、一度公演が中止になり、翌年に感染対策を施しながらなんとか振替公演を遂げた演目です。あの時代を乗り越えたという思い入れのある作品で、30周年記念でぜひ披露したいと思っていました。長丁場ですが皆さんにも観ていただけると嬉しいです。

―矢吹さんご自身も令和6年度北海道文化奨励賞を受賞され、40周年に向けてあしり座の新たな歩みが始まりますね。

 今年は北海道演劇財団の斎藤歩さんの推薦で、さっぽろ演劇シーズンにも参加し、これまで人形浄瑠璃に触れたことのなかった多くのお客さまと出会うこともできました。人形浄瑠璃を始めた当初は、人形劇とは全くの別物だという感覚があったのですが、30年間続けてあらためて思うのは、人形浄瑠璃と地続きで人形劇もある、ということ。人形の構造も、操り方も、すべては繋がっているんですよね。現代人形劇をやっている人も、人形浄瑠璃を学ぶことで人形のことをもっと深く理解することができる。伝統から学ぶことができるんです。だからこそこの伝統芸能を私たちは残していきたい。40周年に向けての目標は「さっぽろ人形浄瑠璃」が無形文化財として認められるよう下地を創っていくこと。大切な仲間たち、そして子どもたちのために、50年、100年とあしり座はこれからも精進し続けます。


あしり座 代表

矢吹英孝(やぶき・ひでたか)

福島県出身。北海道教育大学函館分校入学後、児童文化研究会に入会し人形劇を始める。教員を経て1991年、札幌市こども人形劇場こぐま座指導員となり、1994年から八王子車人形西川古柳座五代目家元西川古柳氏に師事。1995年、あしり座設立。人形劇、人形浄瑠璃の指導・育成を行う。令和6年度北海道文化奨励賞受賞。

さっぽろ人形浄瑠璃あしり座

北海道で唯一の人形浄瑠璃一座として1995年に誕生。北海道から新たな気持ちで人形浄瑠璃を発信していきたいという想いを込め、アイヌ語から「あしり(=新しい)」座と命名。道民の手で人形を遣い演じ続けていくことで北海道発の新しい文化の創造を目指す。


さっぽろ人形浄瑠璃あしり座三十周年記念公演
通し狂言 大黒屋光太夫ロシア漂流記

[演出]西川古柳(八王子車人形西川古柳座五代目家元) [太夫]竹本信乃太夫(弥乃太夫会)
[三味線]鶴澤弥栄(弥乃太夫会) [美術]沢則行(人形劇師)
[出演]さっぽろ人形浄瑠璃あしり座 ほか

[日時]
2025年2月7日(金)17:30開演
              8日(土)13:30開演・9日(日)10:00開演
[会場]
札幌市教育文化会館大ホール
(札幌市中央区北1条西13丁目)
[料金]
一般/前売:2,500円 当日:3,000円 ※教文ホールメイト会員割引あり
学生/1,000円(小学生〜大学生)

●公演に関するお問い合わせ
札幌市こどもの劇場 やまびこ座内 あしり座
TEL 011-723-5911(9:00~17:00 原則月曜日休館)

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