JR旭川駅からまっすぐに伸びる「平和通買物公園」は、1972年に日本で初めて誕生した歩行者専用道路です。旭川は市内に約100基の彫刻が点在する「彫刻のまち」。
この平和通買物公園にも、佐藤忠良の『若い女・夏』、一色邦彦の『鳥人譜』、木内禮智の『手』といった彫刻作品が彩りを添えています。
中でもひときわ存在感を放つのが、愛別町出身の彫刻家・中井延也による『開拓のイメージ』。高さ21メートルに達するこの巨大な鉄塔は、買物公園のシンボルマークとして長く親しまれています。
『開拓のイメージ』というタイトルの通り、四角錐の鉄柱には、馬の蹄鉄や鎖、フォーク、かんじきなど、北海道開拓時代の道具類がモチーフとして散りばめられていて、開拓の辛苦と、開拓者たちへの敬意の念が感じられる作品です。
平和通買物公園にそびえ立つ『開拓のイメージ』
開拓期を彷彿とさせるモチーフたち
「買物公園はショッピングの場所だけではなく、さまざまなイベント会場や遊びの場として市民や観光客の憩いの場となっています。買物公園の誕生から50年以上経った今も、『開拓のイメージ』は買物公園のシンボルとして親しまれています」と話すのは中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館の臼杵朱莉さん。
中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館は、彫刻家・中原悌二郎を記念して設立した彫刻専門の美術館。1970年(昭和45年)に旭川市が開村80周年記念事業の一環として始めた国内の優れた彫刻作品に贈る「中原悌二郎賞」は、彫刻専門の賞としては日本でもっとも長い歴史を持ち、歴代の受賞作品の系譜から、国内の現代彫刻の発展を見ることができます。
中井延也もまた、1990年に第21回中原悌二郎賞優秀賞を受賞。当時、北海道出身の彫刻家として同賞を受賞したのは中井氏ただ一人であり、この受賞は初の快挙でした。
中井延也(1934 – 1999)
写真提供:中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館
中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館
(写真提供:中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館)
中井延也は1934年に愛別町に生まれました。
旭川市内の中学、高校に通い、東京藝術大学彫刻科に進学。塑造や木彫ではなく、一貫して石彫に取り組む異色の存在でした。
平和通買物公園のシンボルタワーの制作を中井に依頼したのは、当時の旭川市長であった五十嵐広三氏。石と向き合い続ける中井には珍しい鉄を用いた『開拓のイメージ』は、故郷・愛別町内の鉄工場で制作されました。
当時、国内初の歩行者専用道路であった買物公園は国内で高い注目を浴びており、愛別町出身の彫刻家の作品がシンボルとなることは町にとっても誇らしいことでした。
心血を注いだ快心作が完成し、旭川への搬出を前日に控えた夜。愛山では町内の名士50名が参加する祝賀パーティーが開催されました。完成の喜びと、その栄誉を讃えながら、宴は深夜まで続いたことが愛別町の町史に残されています。
中井延也石の彫刻公園。手前は『石樹(1)』、その奥が『石樹(2)』。
複雑な形を彫ることが困難な材質のため、石の模様と調和するように単純な形とした作品です。
手前の彫刻『石樹』は、愛別町開基100年記念事業として
制作を依頼した作品。
茶色のアフリカ産御影石を使った彫刻で、
永遠と繁栄をテーマに高さ約6メートルの樹木が立っている姿を抽象的に表しています。
時を超えて2015年。愛別町開拓120年記念事業の一環として、町内の農村公園内に「中井延也 石の彫刻公園」がオープンしました。町内に点在していた中井の彫刻作品12基と新たに制作依頼した1基を、農村公園内に集め整備し、緑豊かな敷地内を歩きながら彫刻作品が楽しめる公園となりました。

毎年、道内外より8000人以上が集まる町内最大のイベント「きのこの里フェスティバル」もこの農村公園内で開催。町内外の様々な人が中井の彫刻作品に触れる機会にもなっています。
「中井の彫刻作品についての問い合わせは今でも時々あるんです。私たちにとっては、ごく身近な彫刻群ではありますが、そうやって作品を訪ねて来る方に触れるたび、中井延也という彫刻家の偉大さを感じます」と、愛別町役場産業振興課の栗本万由有さん。時を経てもなお、愛別町の誇りとして、語り繋がれています。
中井延也は1999年に逝去しましたが、鉄や石など無機質なものに命を吹き込み、人々の賑わいと営みの中で、故郷を愛し、故郷の誇りでもある彼の彫刻作品は今もなお生き続けています。
彫刻公園を案内してくれた栗本さん
産業振興課商工観光係
TEL 01658-6-5114