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マチカド芸術

彫刻公園サキヤマ・流政之彫刻作品群/赤平市

エルム高原家族旅行村内に点在する10基の彫刻作品

2024.07.26 UPDATE
マチカド芸術

 
 かつて、炭鉱都市として繁栄した赤平市。キャンプ客で賑わう市内の「エルム高原家族旅行村」には、世界的彫刻家・流政之の作品が点在する「彫刻公園サキヤマ」があります。
「サキヤマ」は炭鉱用語の一つで、熟練の坑夫を「先山(さきやま)」、その補助をする人を「後山(あとやま)」と呼びました。女性の坑内労働が禁止されるまでは、先山を夫が、後山を妻が担い、夫婦で採炭を行うことが多かったといいます。

エルム高原家族旅行村は自然豊かな場所。小山の上に建つのが「SAKIYAMA」で、すぐそばには川が流れている

 1918(大正7)年に最初の炭鉱が開鉱し、石炭産業と共に急速な発展を続けた赤平市。しかし、1960年代にエネルギー革命が起こり、資源は石炭から石油へ。最盛期には大手鉱業所4社もあった赤平市の炭鉱も、1994(平成6)年に最後の炭鉱が閉山し、炭鉱都市としての歴史は終わりを告げました。
 「1980(昭和55)年に青年会議所で行った市民アンケート調査では、住民の40%が転出を希望していることがわかりました。当時の人口は3万人弱で、ピーク時のおよそ半分。これほどまでに赤平市から出たいと考える人が多いのか、と愕然としました」と話すのは、「流政之赤平応援隊」の会長として「彫刻公園サキヤマ」を管理する植村正志さん。

「流政之赤平応援隊」の代表・植村正志さん。応援隊として彫刻清掃など管理を行なっている。応援隊の初代代表は赤平市の「鞄いたがき」の創業者・板垣英三さんが務めていた。「赤平市の炭鉱の歴史を彫刻作品で表現したいという思いから、流さんに炭鉱の暮らしの中にあった愛や団結力など親密な人間関係について話をさせてもらいました。流さんからはよく『言葉にしなくても以心伝心するものだから、そんなに喋るものではない』と言われたものです(笑)」と懐かしそうに語る植村さん

 赤平市で生まれ育ち、70年以上続く建設会社を営む植村さんは、赤平市の著しい人口減少に歯止めをかけ、街に活力を与えたいという想いから、名車が集う「北海道クラシックカーフェスティバル」や、赤平市の赤にこだわり5年間で6万本のサルビアを植花する「赤い花夢づくり運動」、「炭坑節全国大会」など様々なイベントに携わり、まちおこしに力を注いできました。

応接室の一角には流政之に関連する品々を飾っている植村さん。会社の玄関ホールには創立60周年を記念して購入した流政之の彫刻作品が置かれている

 試行錯誤の中で、赤平市と世界的な彫刻家が深く関わるようになったのは、今から20年ほど前のこと。
 「私が初めて流さんの作品を目にしたのは、2000(平成12)年に夫婦で訪れたアメリカでした。たまたま立ち寄った世界貿易センタービルの前に、代表作「雲の砦(とりで)」が設置されていたのです。当時、彫刻の知識がほとんどなかった私は、著名なビルの前に日本人の作品が置かれていることに大変驚きました」と植村さん。しかし翌年、米国同時多発テロで世界貿易センタービルが崩壊。奇跡的に残った「雲の砦」も、ビルの瓦礫撤去や人命救助のために取り除かれてしまいました。

流政之
1 9 2 3 年長崎県に生まれ、父、中川小十郎創設の立命館大学へ進学。その後中退し、零戦パイ ロットとして終戦を迎える。 1 9 5 5 年木刻、鉄溶接の作品を制作、翌年石との出会い、そして流独自の技法「ワレハダ」を生 み出す。ミノルヤマサキ、マルセルブロイヤーなどアメリカの建築家達のすすめでニューヨークへ 渡り世界を放浪。1975年にはニューヨークワールドトレードセンターに、約250トンの巨大彫刻 「雲の砦」をつくる。ロックフェラー夫人購入の作品「受」はニューヨーク近代美術館のパーマ ネントコレクションとして貯蔵されている。ベトナム戦争中の1 9 7 5 年に帰国、制作拠点であるナガレスタジオで制作活動を続けた。2018年に死去。2019年、NAGARE STUDIO流政之美術館 として開館、一般公開されている。 中原悌二郎賞、吉田五十八賞、日本建築学会賞、香川県文化功労賞、鳥取県景観賞、日本芸 術大賞など。

 それから数年後、同じく郷里を想う友人から植村さんに一本の電話が入ります。
 「赤平出身の先輩で、JR北海道アートデザイン企画室の室長だった勝見渥という友人がいるのですが、彼もまた故郷の赤平市のために尽力していました。勝見さんからの電話は、北海道立近代美術館が「雲の砦」のミニチュア作品をはじめとした大展覧会『NANMOSA 流政之展』の企画を進めていて、三味線を好む流さんのために、オープニングに赤平三味線を呼びたい、というものでした」と植村さん。
 2004(平成16)年9月。同展覧会のオープニングに集まったおよそ1000名の前で披露された赤平市民有志による三味線演奏は、観客を魅了し大喝采を浴びました。「流さんもたいそう喜んでくださり、そこから赤平市との交流が深まりました」と植村さんは話します。

作品を支える土台は、植村さんが会長を務める植村建設株式会社が施工。「水でコンクリートを切るウォータージェット工法を採用しているのですが、この工法はコンクリートに繊細な模様のような意匠をつくります。流さんがとても気に入ってくださり、土台にも採用したいと言って下さいました。土台も大切な芸術表現のひとつ。とても光栄でした」と植村さん。

 「赤平市の町おこしのため様々なイベントに携わってきましたが、形あるものを残したいという想いは常にありました。炭鉱都市として繁栄した赤平市の歴史や文化を後世に伝えることは、現世を生きる私たちの責任でもあります。そう考えた時に、永続的にその場所に残り続ける彫刻こそが、赤平市の歴史を表現するためにふさわしいと考えました」

「SAKIYAMA」の近くに並ぶ「旅法師」(写真右・2011年建立)と「旅法師Jr」(2013年建立)

「コロポックル」(2013年建立)。アイヌの伝統に登場する森の小人をモチーフにしたもので、とがった先端が特徴的

「サキモリ」(2014年建立)は流作品の代表的な形態。防備として配置された兵士「崎守」に由来する

 植村さんたちは、香川県高松市にある流政之の制作拠点「ナガレスタジオ」を見学。翌年には赤平市に流さんを招いて懇話会を開くなど、彫刻建立に向けて動き出し、2007(平成19年)年に彫刻公園実現に向けた実行委員会を発足しました。
 「道内外の野外彫刻も視察し、彫刻公園にふさわしい場所を検討するため、流さんと共に赤平市内を周りました。ただ、私が提案するところはことごとくダメで(笑)。人家がなく自然体な場所を希望されていたので、1994(平成6)年にオープンした旅行村をご案内しました。旅行村は山々の起伏があり川が流れる場所。『植村!ここは良い』と流さんも気に入ってくれました」と楽しそうに当時のことを語ります。

「ピリカ」(2014年建立)は、赤平市の住吉地区に伝わるアイヌ部族の民話をモチーフにした作品で、美しいアイヌの娘「ピリカメノコ」への想いをカタチにした

 「エルム高原家族旅行村」内に、初めて流政之作品が建立されたのは2010(平成22)年6月12日。赤平開拓120年を記念してオリジナル作品「SAKIYAMA」がトリム広場に建立されました。熟練の坑夫を指す先山と名を同じくした作品は、カンテラの灯りを頼りに採掘へ向かう労働者の姿を彷彿とさせ、その堂々とした佇まいは炭鉱都市・赤平の歴史を背負う逞しさがあります。
 植村さんたちは「流政之赤平応援隊」を結成し、以降、5ヵ年計画で毎年作品数を増やし、2014(平成26)年に全10基の流政之の彫刻作品が揃い「彫刻公園サキヤマ」が完成しました。

「指の肌」(2012年建立)。直接手に触れて、芸術・文化に親しんでもらいたいという想いが込められている

 「流さんは毎年のように赤平市に足を運んでくださいました。彫刻が建立されるたびに式典を開き、何度も一緒にお酒も飲みました。流さんはいつも姿勢が良く、式典でも常に直立不動。寡黙で、圧倒的な威厳があって、エネルギーが噴火して身体中を走り回っているような情熱がある。零戦のパイロットとして終戦を迎え、戦後の混乱期の中で全国を放浪し、倒れたままの墓石を起こしながら歩き続けた人です。墓石や地蔵、そして彫刻は、人間が生きていく上での支えでもあるのだ、ということを流さんと過ごした時間や作品、そして各地の彫刻を見て回ったことで改めて実感することができました」

流政之と赤平市の縁を深めたきっかけでもある三味線のバチをモチーフにした「ナガレバチ」(2013年建立)

 流政之は2018(平成30)年7月7日に逝去。
 その前年、赤平市では流さん94歳の誕生日を祝うワインパーティーが開催されました。
 「流政之赤平応援隊が主催で、赤平の「赤」にこだわった赤づくしの料理とワインで、流さんを囲み語らいました。体調を気遣う私たちに、流さんは力強く『俺は元気だから』とおっしゃっていました」

「その気」(2012年建立)。地域が活性するには「その気」が大事であると、町おこしに尽力する植村さんたちはこの作品に想いを馳せている

 粘り強く、根気よく、努力を怠るな。
 彫刻公園実現のために奔走する中で流さんからもらったいくつもの叱咤激励は、植村さんにとって、そして赤平市にとって情熱の火種。
 「彫刻公園サキヤマ」の彫刻群は、赤平に生まれ、赤平を愛する人々と、その想いに共感し、向き合い続けた彫刻家とが深く結ばれた絆の証です。

「ATOYAMA」(2012年建立)は、「SAKIYAMA」と対になる作品で、同じく黒みかげ石で制作された

 
DATA
流政之赤平応援隊

https://uemurakk.wixsite.com/nagareakabira
NAGARE STUDIO 流政之美術館
https://nagarestudio.jp/

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