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マチカド芸術

潮笛(しおぶえ)/乙部町

ダッタン漂流記をモチーフにしたモニュメント

2023.08.29 UPDATE
マチカド芸術

 
 渡島半島の西部、檜山振興局管内のほぼ中央に位置する北緯42度のまち・乙部町。
海岸線を走る国道229号沿いにある道の駅「ルート229元和台(げんなだい)」は、海抜40メートルの見晴らしの良い場所で、日本海を一望できる展望台になっています。
この展望台で、紺碧を背負って力強く佇むのが「潮笛(しおぶえ)」です。

「潮笛」は、道の駅の完成に合わせて1995(平成7)年に造られたブロンズ製のモニュメント。説明碑には、

『寛政7年(1795年)、この地の漁師重兵衛・孫太郎・安次郎が小船でコンブ漁に出漁中、強風に遭いダッタン(中国吉林省)に漂流、北京をへて2年後、長崎出島より苦難の末帰郷した。この力を讃え、岬に打つ波涛と潮風にこめ作品とした。』

とあり、町内の漁師3人が中国へ漂流した史実「韃靼(ダッタン)漂流記」をモチーフにして作られたものだとわかります。

左から乙部町公民館郷土資料室の学芸員・藤田巧さん、乙部町役場の常田圭祐さん

乙部町内の工芸家・中川眞一郎さん

 「ダッタンは現在のシベリア辺りで、清国の領土の端でした。流されてしまった3人の漁師は、そこから清の国内を大回りし、南方の港から長崎を経由して乙部町に戻ったと伝えられています。この3人は言うなれば乙部町で初めて海外に渡った人。ダッタン漂流記は実際に起こった出来事なのです」と、乙部町公民館郷土資料室の学芸員の藤田巧さんは話します。

 「潮笛」は、函館の工芸家で日展理事の故・折原久左エ門さんと、乙部町内の工芸家・中川眞一郎さんによる共同制作。「折原先生は私の大学時代の恩師であり、工芸の師匠です。北海道に現代工芸という思想を広めた人で、私を含む工芸作家の育て人。モニュメント制作の依頼を受けた私は、すぐに折原先生に相談をし、共同制作という形で進めていくことになりました。とはいえ、制作のほとんどは折原先生によるもの。私はその傍で手伝いをしていました」と中川さん。折原さんが亡き今、「潮笛」に込めた作家の思いを伝えることができるのは、中川さんただ一人です。

 「この『潮笛』は、海中で揺れる海藻をイメージしたものだと思われます。荒波に流され、異国の地で不安を抱えながら、それでも故郷に帰ろうという強い意志を持って乙部町に戻ってきた苦労を表現するために、表面の仕上げはあえてざらつかせています。折原先生の横で制作を手伝っている間、何度かそうした作品に込めた意図を教えてくださいました」と、中川さんは語ります。

 「実は「潮笛」が完成した当初は、潮風が吹くと音が鳴る『音叉』が取り付けられていました。しかし、この場所は非常に風が強く、昼夜を問わず音が鳴り響くため、検討の結果、近隣への配慮を優先して早々に取り外すことになりました。『潮笛』はその名の通り、潮風によって鳴る笛だったのです。当時のことを知らない人は、その名前の意味にあれこれ考えを巡らせるでしょうね(笑)。曲線を描いた造形も、海藻をイメージしたものだとは思い至らないかもしれません。けれど、そうしたわからないことに思いを巡らせることも芸術作品を見る楽しみの一つなのだと思います」と中川さんは楽しそうに語ります。

 乙部町は折原さんや中川さんの作品を含む多彩な芸術作品を野外展示する「街かど美術館」や、町内の温泉施設「いこいの湯」の館内に絵画や陶器、彫刻品などを展示する「温泉美術館」など、芸術に親しむ取り組みが盛んな町。
「この町は芸術に関して寛大で、私も町内に展示するモニュメント制作の依頼など、多くの機会を与えていただきました」と話します。

 今年の6月、中川さんはご自身の出身地でもある乙部町の栄浜地区の国道沿いに予約制の「街かどの小さな工藝美術館」を開きました。
「コンセプトは子どもたちにもわかる工芸美術館。工芸美術品は絵画や彫刻と違って、素材や技法も様々で、とっつきにくい存在です。子どもたちが作品に興味を持ち、鑑賞の楽しみ方を知るきっかけになってほしいと思っています」と、芸術を楽しむ感性を未来に伝えていきたいと考えています。

「潮笛」の完成から30年弱。ドライブやキャンプで訪れる観光客たちが休憩に立ち寄っては、壮大な海に感嘆し、モニュメントの前で写真撮影を楽しんでいます。
乙部町役場の常田圭祐さんは「この展望台は単に景色が良いスポットではなく、町内外の多くの人を惹きつける力を感じる場所。乙部町にとって欠かせない場所に育っています」と、話します。

「折原先生は、潮笛の中央に夕日がはまることを想定していました。モニュメントの中央に輝く夕日は、故郷に戻ることに必死だった3人の漁師にとっての「希望」なのです。夏の終わりから秋の始まりの夕日だと、タイミングが良ければ潮笛の中央に夕日がはまる見事な姿を見ることができるかも知れません」と中川さん。
200年以上も昔に3人の漁師が戻りたいと願ったこの町には、美しい大自然と、地域に根付いた芸術の息吹、そして希望の夕日がありました。

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