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伝わる文化

浦安の舞/真狩村

高校生達の手で伝承される郷土芸能

2022.11.28 UPDATE
作る人

 
 「浦安の舞」は、1940(昭和15)年に開かれた紀元2600年の奉祝式典に合わせて新たに誕生した神楽舞で、全国各地の神社に一斉に奉納されたものです。浦安とは「心の安らか」という意味で、「平和を願う心の舞」を表しています。1933(昭和8)年に泰平を祈って昭和天皇が詠んだ御製「天地に神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」を元に、当時宮内省の楽長だった多忠朝(おおのただとも)氏が作曲振付を行いました。
 真狩村では、当時の宮司・森満治郎氏が札幌神社(現在の北海道神宮)にてこの振付を修得。村内の婦人部有志の協力により装束、楽器一式が村に寄贈され、現代に伝承されていきました。

華やかな衣装に、厳かで美しい舞。「子どもの頃に見た浦安の舞に憧れた」とかつて舞姫を経験した卒業生たちも話す

 当初は村内の婦人部が舞姫を担っていましたが、仕事や家の事情などで忙しい人が多く、舞姫探しは毎年大変苦労していたそう。それでも、伝統を絶やしてはいけないと続けてきた結果、1974(昭和49)年に真狩村郷土芸能の指定を受けることになりました。さらに1977(昭和52)年、当時の真狩高校の綾野校長が「真狩高校で郷土芸能を伝授していきたい」と発案したことから、「浦安の舞保存会」が結成。以来、真狩高校の女子生徒が舞姫を担うことになりました。学校行事と重なり生徒が参加できず、村内の成人女性が代わりに繋いだこともありましたが、伝承は途絶えることなく現在まで続いています。

花かんざしに、舞衣(まいぎぬ)と緋袴(ひばかま)という井出立ちで舞う

 「浦安の舞」は、四人舞が正式とされていて、真狩村でも四人舞を継承しています。舞は前半が檜扇(ひおうぎ)を持つ「扇舞」、後半が鉾先舞鈴(ほこさきまいすず)を持つ「鈴舞」の二部構成。とてもゆっくりとした振りのうえ、1曲が20分近くあり、体勢を維持するだけでもかなりの体力とバランス感覚が必要です。4人の舞が美しく揃うことが重要で、一人一人が指先まで意識を集中させ、厳かで優美な動きを表現します。
 本番が近くなると、連日放課後に練習をするため、送り迎えなどを考えて舞姫は真狩村在住の生徒に限定。今年は新入生に村在住の女子生徒が一人足りず、中学一年生の舞姫が加わった編成となっています。新人はDVDなどで自主練を重ね、その後2週間近くかけて4人で合わせた練習をして初披露の日を迎えます。ここ数年は、コロナ禍により発表の機会が少なくなっていましたが、例年は新メンバーの初披露目となる2月の芸能発表会、9月の真狩神社例祭やほくほく祭りなど年3回ほど発表の場があり、それ以外にも郷土学習の一環として真狩小学校の4年生を対象に浦安の舞を毎年披露しています。

額には花かんざし、後ろ髪は熨斗(のし)紙、水引、丈長(たけなが)を組み合わせた絵元結(えもとゆい)をつける

羊蹄山の麓で鉾先舞鈴(ほこさきまいすず)を持ち優雅に舞う

保存会のメンバーと4人の舞姫たち。撮影時は卒業生も見学に来ていて、賑やかな風景でした

 「浦安の舞保存会」は現在、校長先生を含む約9名。高校時代に舞姫を経験した村の女性達が舞の指導や着付けなどを担当していますが、練習の多くは高校生同士がメイン。3年生が下の世代を育て、80年近い歴史を持つ郷土芸能を地元の若者が繋いでいます。その美しく厳かな姿に憧れ、将来舞姫を担う子ども達がきっと現れることでしょう。

監修/角 美弥子(北海道教育大学岩見沢校准教授)

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