北のとびら on WEB

伝わる文化

上磯奴(かみいそやっこ)/北斗市

日本海の荒波を乗り越えて北前船が持たらした伝統芸能

2022.03.30 UPDATE
作る人

 
 青色の半纏を身にまとい、手甲、脚絆(きゃはん)、黒足袋、草履、腰巾着、化粧前掛け、腰に奴刀を差す。これは、北斗市に伝わる「上磯奴」の衣装です。
 毛槍と七つ道具(大鳥毛、挟み箱、弓、鉄砲、立傘、台傘、長刀)を配して行列を組み、大人奴の「エーヨヤサノサ」に続いて子ども奴の「ハレワイショーノショ」の掛け合いの声で応答し、陣笠、裃に白扇を手にした師匠の指揮によって総勢30余名が一糸乱れず演じながら奴行列を展開する。その絢爛豪華で厳かな行列の様はまさに圧巻。北斗市が誇る貴重な文化財です。

 上磯奴は1635(寛永12)年、江戸幕府が発布した武家諸法度により諸国の大名に義務付けられた参勤交代が起源。江戸と領地を往来する大名行列が奴行列の原型です。
 上磯の地に伝えられたのは、1853(嘉永6)年に大阪と蝦夷地を日本海廻りの北前航路を弁財船に積んで上方から運ばれた有川大神宮の御神輿が始まりと言われています。
 当時、有川地域(現在の北斗市)は大阪や京都の商人との交流が盛んだったため、有川大神宮の氏子らは上方方面の厳粛豪華な祭りの様子を知り、御神輿の購入を検討したといいます。
 御神輿を求め、種田徳兵衛をはじめとする6名の有川大神宮の氏子総代が弁財船に乗り込みました。
 京都方面では残念なことに完成された御神輿がなく落胆。しかし、大阪心斎橋通本町の鎌田常右衛門店舗にあった京都伏見稲荷神社の発注した六角型御神輿に出会い、懇請して購入しました。これは蝦夷地に運んだ最初の御神輿でもありました。
 そして同年、御神輿(御神体を載せている)の門払いの先駆(せんく)として、祭りに奴行列が組み込まれたと考えられており、これが現在に伝わる「上磯奴」となりました。
 またこの頃、御神輿購入時に「奴行列」と共に、大阪の「天満ばやし」も一緒に伝授されてきたもので、これは道内最古の囃子と言われています。
 このように、北前航路の弁財船で蝦夷地に持たらされた大阪や京都の文化的影響が非常に強いのも、道南エリアの特徴です。

2006(平成18)年に開催された松前城築城400年祭での北海道奴振り大会の様子。「大人も子供も大勢集まって、4、50人規模の上磯奴を披露したんですよ」と森さん

 「上磯奴」は、有川大神宮のほかにも、上磯八幡宮、矢不来天満宮(やふらいてんまんぐう)に伝承されました。しかし、長い年月を経て所作や服装が地域によってばらつきが生じるように。それを憂いた関係者は「貴重な文化遺産を正しく後世に伝承し、後継者を養成しよう」と、1967(昭和42)年に上磯奴保存会を設立しました。初代会長は上磯町教育委員会教育長であった田沢義竭(よしかつ)さんで、三社の各師匠を集めて統一した奴行列にしようと尽力。名称も「上磯奴」と定められ、木古内町や南茅部町(現・函館市)、砂原町(現・森町)、七飯町にも奴行列を指導し続けました。
 上磯奴は1980(昭和55)年に上磯町無形民俗文化財に指定、1982(昭和57)年には北海道文化財保護功労者賞を受賞。2006(平成18)年には上磯町と大野町が合併し、北斗市が誕生するという大きな転機も迎えましたが、「上磯奴」はしっかりと受け継がれていきました。

 「大人は黒熊毛・白熊毛・大鳥毛・挟み箱、子どもは弓・鉄砲・立傘・台傘・長刀を担当します。かつては総勢30名ほどで行列を組み、その長さは100メートル近くもあったんですよ」と振り返るのは、上磯奴保存会・事務局次長の森靖裕さん。
 黒熊毛と白熊毛の長柄の長さは約3.3m、重さ約4㎏、大鳥毛の長柄の長さは約3m、重さは約8㎏近くにも及びます。毛槍の所作である「しゃがみ腰を維持したままで突き槍」をこなすには、技術はもちろん体力も非常に重要で、「会員は子供の頃から参列しています。現在は35〜45歳のベテランばかりで、ほとんどが地元の漁業関係者・会社員たちで構成されています。もっとも重い大鳥毛は、会員の中でも力自慢が担当しています」と森さんは胸を張ります。 

約8Kgあるという大鳥毛は迫力満点。相当 な力が必要となる

 上磯奴保存会の会員は現在22名で、会長の浜田福治さんは5代目。年々減少する会員数により、30名での奴行列も実現が難しくなってしまったと森さんは話します。
「若者たちの地元離れが一番の要因です。過去には毎年10月に行われる有川大神宮例大祭の渡御祭が上磯奴を披露する機会でした。これは2日間かけて地域を巡幸していましたが、毎年の参加は無くなり、さらに4年に一度行われる大祭などは特に人数や時間などの関係から開催の実施が難しくなり、最後に行われたのは12年も前のことです」
 地域に伝わる伝統芸能は、その土地で暮らす若者たちによって代々受け継がれていくものです。「ここ数年はコロナ禍で披露する機会が失われているという課題もあります。今年は函館港祭りでの披露を計画していますが、今のところどうなることやら。世の中が落ち着き、また多くの人に上磯奴に触れてもらう日が来ることを願っています」と森さんは、希望をつなぎます。
 勇壮な掛け声と力自慢の会員たちを中心に展開する絢爛豪華な奴行列。歴史が浅いと言われる北海道ですが、「上磯奴」は開拓使以前より伝わる重要な文化財です。
 かつて北前航路の弁財船で荒波を乗り越え、「神輿」と「奴」と「囃子」を届けたように、この令和の世でも立ちはだかる困難を克服し、次の世代へと繋げていくことでしょう。

監修/角 美弥子(北海道教育大学岩見沢校准教授)

あわせて読みたい
トップページ
北のとびら on WEB
COPYRIGHT 2021.HOKKAIDO ARTIST FOUNDATION., ALL RIGHTS RESERVED.