北のとびら on WEB

特集

北海道農民管弦楽団
音楽で心を耕す三十年の軌跡

牧野時夫(北海道農民管弦楽団・代表)

2025.03.24 UPDATE

農閑期に練習をして年に1度の演奏会を開く農民オーケストラ「北海道農民管弦楽団」。
「鍬で大地を耕し、音楽で心を耕す」をモットーに音楽活動を続ける同楽団は2024年に創立30周年を迎えました。農業と音楽と向き合い続ける代表・牧野時夫さんに話を伺いました。

PHOTO/大橋泰之(マカロニ写真事務所)、溝口明日花(マカロニ写真事務所)


 

 

 
―牧野さんの音楽との出会いを教えてください。

 両親が音楽好きで、バイオリンやピアノは幼少期から習っていました。ただ、特別な英才教育を受けていたというわけではなく、練習はそれほど熱心なタイプではありませんでした(笑)。特にバイオリンは一人で弾いていても、あまり面白くないという思いがあり、もしかしたら、この頃からオーケストラへの憧れがあったのかもしれません。バイオリンは小学校卒業と同時に辞めてしまったのですが、音楽は変わらず好きだったのでピアノは高校卒業まで習っていました。

―本格的にオーケストラで演奏を始めたのは大学在学中ということでしたね。

 初めて参加したオーケストラは、スケールの大きな自然に憧れて、山梨県から北海道大学に進学した際に出会った北海道大学交響楽団です。当時の北大オケは演奏旅行で道内各地を周るなど、活動も非常に活発で。あの頃の私は勉強よりも音楽に没頭していた時間の方が長かったように思います。まさに音楽漬けの生活を送るようになっていました。

 

 

―農業への関心はいつ頃から芽生えたのでしょうか。

 大学進学時は自然生態学に興味を持っていました。ただ、北海道大学の前身は札幌農学校なので、農業への関心は日々学生生活を送る中で少しずつ芽生えていったように思います。一番のきっかけは、地球環境に対する思いです。自然環境に最も大きな影響を与えているのは、農業ではないかと考えるようになりました。環境を壊さない農業のあり方を考えた結果、「有機農業」に関心を持つようになり、2年生の時に農学部を選択しました。自然生態学と農業への関心は地続きにあると思っています。

―現在の活動の基盤がこの時期に形成されたのですね。

 大学時代ではさらに、宮沢賢治との出会いがありました。彼は花巻農学校の教師という安定した生活を自ら手放し、農耕生活を送りながら、付近の農民を集めて農業や化学、芸術について教えていました。その時の講義用に書かれたのが『農民芸術概論綱要』です。この芸術論のなかで、彼は「農民こそが芸術をやるべきだ」と語っています。読み込むうちに、宮沢賢治という人間の生き方そのものに強く惹かれていきました。賢治は農作業や創作活動を続けながらチェロを弾き、農家の人々と音楽を楽しみ、農民オーケストラの結成を夢見ていました。しかし、病に倒れ、その活動はわずか2年ほどで終わってしまいます。いつしか私は、宮沢賢治が叶えられなかったその夢を、現代の農業に合った形で実現したいと考えるようになりました。

 

 

―北海道農民管弦楽団は、1994(平成6)年に結成されました。

 大学院卒業後、本州のワイン会社に就職しましたが、「北海道で農業をやりたい、オーケストラを続けたい」という思いを叶えるため、宮沢賢治が教師を辞めたのと同じく30歳で退職。余市町の離農することになった農家を引き継ぎ、就農しました。オーケストラを作るには10年近くかかると覚悟していたのですが、就農して3年目の1994年に余市町で開催された「日本有機農業研究会」北海道グループの学習会で、学生時代に知り合ったフルート奏者や、北大オケ時代の先輩に再会し、農民オーケストラを作りたいね、という話に花が咲いて。知人に声をかけたり、新聞にも取り上げられたおかげで、50名近いメンバーが集まりました。演奏会は翌年の1月15日、忘れもしない猛吹雪の日でした。「日本有機農業研究会」北海道グループの総会に合わせて午前中に札幌芸術の森で行った演奏会では、観客より演奏者が多かったくらいです。ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」を披露しました。これが、北海道農民管弦楽団にとって初めての演奏でした。

 


 

―北海道農民管弦楽団は、結成当初から地方公演に力を入れていましたね。

 地方の公民館や体育館などで演奏会を開くと、お客様の中には楽器を演奏できる農家さんがいて、「私も参加したい」と手を挙げてくれることもありました。最初の10年間は、演奏をしながら地方在住の団員が増えていく日々でもありました。この30年間で、道内約25市町村を巡っています。

 

2025年の演奏会にむけて、2024年12月にKitaraの大リハーサル室で年内最後の練習を実施。道内各地からメンバーが集まり、牧野さんの熱のこもった指揮のもと、練習は続きました。
 

―2011年2月には、デンマーク公演も実現しました。

 デンマーク公演は、酪農学園大学が取り持ってくれた縁で実現しました。私たちのオーケストラには、酪農学園大学の教職員や学生も多数在籍しており、その中には北大オケ時代の先輩で、酪農学園大学の教授もいました。酪農学園大学は、デンマークの農業と教育システムを基に創立された大学です。海外公演は一つの夢でもあったので、その先輩にデンマーク在住の特任教授を紹介していただき、とんとん拍子で演奏会が決まりました。デンマークでは現地のアマチュアオーケストラとも共演し、とても有意義な時間を過ごしました。

―デンマーク公演の1ヶ月後に起こった東日本大震災や東北農民管弦楽団との関わりを教えてください。

 宮沢賢治の故郷は岩手県花巻市です。東日本大震災は「音楽で、東北の力になりたい」と強く願った出来事でした。東北農民管弦楽団の代表・白取克之さんは、もともと北海道で農業実習をしていて、私たちの演奏会にも2回ほど参加していました。白取さんは実習後、故郷の青森に戻り就農しましたが、「東北にも農民オーケストラを作りたい」と相談を受けたんです。我々も2013年1月に宮沢賢治没後80年記念として、花巻市での演奏会を企画していたので、そのタイミングで東北にも農民オケを立ち上げて一緒に演奏しませんか、と誘いました。それが、東北農民管弦楽団結成のきっかけです。花巻市での演奏会の翌日には、震災で甚大な被害を受けた陸前高田小学校でも演奏を行いました。

―東北農民管弦楽団とは立ち上げ時から深く関わっていたのですね。

 私は毎年、東北の演奏会に客演として参加していました。しかし、2019年末から新型コロナウイルス感染症が騒がれ始め、県境を越える移動の制限があり、東北農民オケは3年間の活動休止を余儀なくされました。その後、宮沢賢治没後90年にあたる2023年、直前で中止になってしまった花巻市での第九演奏会が3年振りに開催され、私も客演コンサートマスターとして参加しました。

 


 

―コロナ禍は北海道管弦楽団の活動にも影響をもたらしましたか?

 私たちは非常に運が良かったのかもしれません。感染症の流行間もない2020年2月初めに開催した演奏会は、まだ行動制限がない時期だったため、中止せずに実施することができました。それ以降の3年間、感染者数に応じて制限が緩和されたり、厳しくなったりと波があったと思いますが、私たちの演奏会はいつも緩和のタイミング。結果として、演奏会は一度も中止することなく続けることができました。

―コロナ禍や東日本大震災など有事の際には、文化芸術に対する風当たりが強くなることがあります。牧野さんはどう感じますか?

 確かに、音楽は衣食住に直接関わるものではありません。たとえ音楽がなくなっても、人は最低限の生活を送ることができるでしょう。しかし、それは本当に「人間らしく生きる」と言えるのでしょうか。生命維持活動には関係のない文化芸術であっても、人間が生きるために大きな意味を持つ大切なものであると思います。

―北海道農民管弦楽団は創立30周年を迎え、今年の2月には東北農民管弦楽団とのジョイントコンサートが初めて実施されました。

 ジョイントコンサートは長い間実現したかったことの一つです。30周年という節目は良い機会でした。東北からは約50名の演奏者が来札し、北海道と合わせて約120人のオーケストラです。さらに、小学生を含めた合唱団も参加し、300名を超える大所帯になりました。

 

ジョイントコンサートは2025年2月2日(日)に開催。1200名を超える動員を記録し、大盛況の中で幕を閉じました。2026年の演奏会は、空知管内深川市での公演を予定しています。
 

―30周年という区切りを迎えましたが、北海道農民管弦楽団として、今後の目標などはありますか?

 現在、私たちのメンバーは農業関係者ではあるけれど、農家さん自体は少ないんです。農民オーケストラと名乗る以上、農家さんが増えていくと嬉しいですね。土に触れているからこそ生まれる音楽ってあると思うんです。例えば、農村の風景にインスピレーションを得て生まれた田園交響曲を演奏する時、私たちは日々身近に感じているものを音楽として表現することができます。時折、音楽家の方から「うらやましい」と声をかけられることがあるんですよ。生活のための演奏ではなく、商業主義でもなく、ただ「好きだから」演奏をする。その純粋な動機があるからこそ、私たちの表現は何にもとらわれることなく、自由でいられるのです。


北海道農民管弦楽団・代表

牧野時夫(まきの・ときお)

1962年生まれ。北海道大学農学部卒業、同大学院修士課程修了。本州のワイン会社にてブドウの栽培・育種の研究後、1992年余市町に有機農園「えこふぁーむ」を開設。ブドウを中心に数百種類の果樹・野菜を無農薬で栽培している。1994年に北海道農民管弦楽団を設立し、代表、指揮者、作・編曲も行っている。2024年にNPO法人 余市農芸学舎を設立。代表理事・校長を務める。

北海道農民管弦楽団

宮澤賢治が『農民芸術概論綱要』で述べた理想に基づき、彼が果しえなかった夢を現在に蘇らせる試みで、「鍬で大地を耕し、音楽で心を耕す」をモットーに活動するアマチュアオーケストラ。1994年の創立以来、北海道在住の農家、および農業関係の仕事に携わる音楽愛好家が、農閑期に一堂に会して演奏会を行っている。
http://farmoke.web.fc2.com/

あわせて読みたい
トップページ
北のとびら on WEB
COPYRIGHT 2021.HOKKAIDO ARTIST FOUNDATION., ALL RIGHTS RESERVED.