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松村隆/江差町

いにしえ文化語り部会会長

2023.08.29 UPDATE
作る人

 
 日本海に面した江差町は、江戸時代から明治にかけてニシン漁とその交易で繁栄した港町。
 「数十軒もの茶屋、浜小屋が浜辺に並び、全国から交易船がやってくる旧暦5月の賑わいは『江差の五月は江戸にもない』と言われるほどでした。賑やかな港町には花街が栄え、そこで生まれた芸能文化は、町民の感性を育てました」と語るのは松村隆さん。28歳の時に檜山郡泊村から江差町の市街地に移住。繁栄期の面影を残す町並みに刺激を受けて「江差の町」をテーマに写真を撮り始めました。

貴重な建造物や江差追分が今も残る江差町。2017年4月には北海道で初めて日本遺産に認定された。この町で歌い継がれている「江差追分」は日本を代表する民謡で、歌い手の名師匠・青坂満さんの歌声に多くの人が感激の涙を流したという。松村さんは2006年に青坂さんの半生を綴った「たば風に唄う―江差追分・青坂満」を発行した。

初めて購入したカメラはオリンパスのフィルムカメラ。現像も自分で行っていたそう。自治体職員時代に仲間たちと共に「江差フォトクラブ」を立ち上げ、道内の円空仏を撮影した写真集「北海道の円空仏」を発行し高い評価を得た。松村さんが撮り続けた江差の町の写真は、空中写真家の清水武男氏にも認められ、中山峠写真の森美術館で常設展示されたことも。

 松村さんが、写真だけではなく文章も書くようになったのは民謡『江差追分』がきっかけ。「自治体職員を経て、江差追分会館館長になった私は、著名人を含む様々な人が江差追分に魅せられていることを知りました。この小さな港町で、人々の心を惹きつける民謡が歌い継がれたのはなぜか。町の文芸誌『江さし草』の当時の編集長から執筆依頼を受けた私は、江差追分を求める人々の情念に突き動かされるようにして、町の歴史を辿り、話を聞き連載を始めました」と、振り返ります。

江差町にゆかりのある道内外の会員約170人が随筆や写真、俳句や詩などを寄稿する文芸誌「江さし草」は年4回発行。「語り部茶屋」にはバックナンバーも全て並んでいます。

江差町の歴史を伝えるパネル展示もされている。昭和に入ってからの写真は、松村さんが撮影したものも多数。

 今や多くの著書を持つ松村さんの執筆活動の原点『江さし草』は、地域の文化団体「江さし草会」が発行する文芸誌。「江差町の貴重な生活史になり得る」と松村さんが胸を張る同誌は、1976(昭和51)年の創刊以来、一度も休刊することなく、1992(平成4)年からは「小中学生俳句展」を開催し、地域の文化振興に貢献。今年の3月、「江さし草会」は北海道地域文化選奨に選ばれました。
 松村さんは1993(平成5)年から約30年間に渡り同会の三代目編集長兼代表を務め、2022(令和4)年に退いた後も執筆者の一人として連載を続ける一方、古い土蔵を改装し、江差の文化を伝える施設「語り部茶屋」を立ち上げました。

左から松村さん初の写真集「時が刻む…追分の陰影・江差」(2000年 初版)、文芸誌「江さし草」、2021年発行の「江差花街風土記 ―北前船 文化の残影―」(文芸社)。

「語り部茶屋」は多くの建築遺産が残る「いにしえ街道」に建っている。 「この場所をどう活用していくのかが楽しみです」と松村さん。

 「執筆活動の中で辿り着いたのは、江差町には花街がもたらした文化の活力があるということ。北陸から伝わった追分節が町の風土や生活を歌い込み、人々を魅了する民謡に磨かれたこと、地方発行の文芸誌が半世紀も続けられたこと、全ては町民の感性と町に根付いた文化の賜物です」と松村さん。97歳になった現在も連綿と続く江差町の文化を後世に伝えようと力を注いでいます。

Profile
 

松村隆(まつむら・たかし)

1926年江差町生まれ。自治体職員を経て、1985年江差追分会館館長、1993年「江さし草会」代表。現在は「いにしえ文化語り部会」会長。著書に「追分ひと模様」ほか多数。令和3年度アート選奨K基金賞(北海道文化財団)。

●語り部茶屋
江差町中歌町70 ☎︎090-8705-7647(松村)

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