北海道戯曲賞

全国に門戸を開き、次代を担う劇作家や優れた作品を発掘するとともに、道内外の作家が互いに競い合うことにより、北海道における演劇創作活動の活性化を図ることを目的としています。
また、大賞受賞作品は受賞記念公演として上演し、道民の皆様に上質な演劇作品の鑑賞の機会を提供します。

主催 公益財団法人北海道文化財団
後援 北海道
協力 公益財団法人北海道演劇財団 日本劇作家協会北海道支部

令和3年度 「北海道戯曲賞」募集案内

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募集要項
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審査員プロフィール

江本 純子(毛皮族・財団、江本純子)

78年千葉県生まれ。00年21歳の時に劇団「毛皮族」を旗揚げ。毛皮族は旗揚げ3年目に4000人を動員する劇団となる。09年より「財団、江本純子」を開始。09年『セクシードライバー』、10年『小さな恋のエロジー』は岸田國士戯曲賞最終候補作。12年、フランス・パリ日本文化会館より招聘され、毛皮族作品『女と報酬(Le fric et les femmes)』を同劇場にて上演。08年~13年、セゾン文化財団ジュニアフェロー。16年、初監督作品である映画『過激派オペラ』が公開。16夏に小豆島・大部地区に滞在し、野外演劇を製作・上演したことを機に小豆島での演劇活動も行う。19年度よりセゾン文化財団シニアフェローとなる。立教大学現代心理学部映像身体学科にて兼任講師も時折務める。20年一時休止していた「毛皮族」を再開。

桑原 裕子(KAKUTA)

KAKUTA主宰。作・演出を兼ね、役者としては結成以後全本公演に出演。
若手俳優の登竜門「ラフカット」では出演と劇作を手がけ、教育テレビ『中学生日記』『時々迷々』『ぬけまいる~女三人伊勢参り』、NHKラジオシアターなどを執筆。2010~13年ブロードウェイミュージカル「ピーターパン』の潤色・作詞・演出を務めた。女優としても 長塚圭史演出『冒した者』、白井晃演出『ペール・ギュント』福原充則作品『俺節』・『忘れてもらえないの歌』に出演するなど、多方面で活躍の場を拡げている。
2007年初演のKAKUTA『甘い丘』の再演で2009年に第64回文化庁芸術祭・芸術祭新人賞(脚本・演出)を受賞。2015年『痕跡』で第59回岸田國士戯曲賞候補、第18回鶴屋南北戯曲賞受賞。2017年上演『荒れ野』で第6回ハヤカワ悲劇喜劇賞、「第70回読売文学賞 戯曲・シナリオ賞」受賞。劇団の代表作「ひとよ」が白石和彌監督で映画化、2019年秋公開。十勝毎日新聞に不定期連載執筆中、穂の国とよはし芸術劇場PLATアドバイザーを務める。2022年5月新国立劇場にて「ロビー・ヒーロー」演出予定。

斎藤 歩(札幌座)

釧路市生まれ。北海道大学演劇研究会を経て、札幌で劇団を結成し俳優・劇作家・演出家として1987年より活動を続ける。1996 年には札幌市文化奨励賞受賞。同年、北海道演劇財団設立に伴い、TPS 契約アーティストに就任。2000 年、演出した「逃げてゆくもの」で文化庁芸術祭優秀賞を受賞。2000年からは東京に活動の場を移し、俳優として映画・舞台・テレビドラマなどに出演する一方 北海道でも札幌座チーフデレクターとして劇作・演出・出演もしながら次世代演劇人の育成も続けてきた。 2016年札幌に拠点を戻し、札幌座を中心とした劇作・演出・出演などの創造・普及活動に加えて、劇場運営・ワークショップ事業・広域巡演事業なども統括。北海道での演劇の仕事を主軸に置きつつ、東京での俳優業も継続し、映像俳優としても活動を続けている。2020年7月より、北海道演劇財団の理事長・芸術監督。

瀬戸山 美咲(ミナモザ)

劇作家・演出家。2001年、ミナモザを設立。2016年、『彼らの敵』で第23回読売演劇大賞優秀作品賞受賞。最近の作品に『埒もなく汚れなく』(作・演出)、『あの出来事』『ジハード-Djihad-』(ともに演出)など。『夜、ナク、鳥』(演出)、『わたし、と戦争』(作・演出)で第26回読売演劇大賞優秀演出家賞、『THE NETHER』(上演台本・演出)で第27回読売演劇大賞優秀演出家賞ならびに第70回芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。『アズミ・ハルコは行方不明』『リバーズ・エッジ』など映画脚本も手がける。2016年、FMシアター『あいちゃんは幻』で第42回放送文化基金賞脚本賞受賞。世田谷パブリックシアターのワークショップ、多摩ニュータウン×演劇プロジェクト、『ヒロシマの孫たち』などコミュニティの人たちとの創作にも継続的に携わる。

古川 健(劇団チョコレートケーキ)

劇作家、俳優。1978年、東京都生まれ。2002年、劇団チョコレートケーキに入団。09年「a day」より劇作も手がける。10年、「サウイフモノニ…」から日澤雄介が演出を担当し、現在の製作スタイルを確立。あさま山荘事件の内側に独自の物語で切り込んだ「起て、飢えたる者よ」以降、大逆事件やナチスなど社会的な事象をモチーフにした作品を作り続けている。14年、「治天ノ君」が第21回読売演劇大賞選考委員特別賞受賞。15年には劇団としての実績が評価され第49回紀伊國屋演劇賞団体賞を受賞。19年、第26回読売演劇大賞優秀作品賞を受賞(「遺産」)

アーカイブ

第7回 2020年度(令和2年度)
データ
募集期間令和2年7月1日~9月1日
応募数164作品(新規105作品)
男女別
男性女性
120名44名
年齢別
10代20代30代40代50代60代70代80代
3名42名51名39名16名8名4名1名
都道府県別
東京都北海道神奈川県大阪府愛知県埼玉県千葉県兵庫県福岡県広島県
69名21名15名8名7名5名5名5名5名4名
京都府山梨県岐阜県静岡県青森県岩手県宮城県茨城県石川県富山県
3名2名2名2名1名1名1名1名1名1名
三重県和歌山県岡山県山口県沖縄県
1名1名1名1名1名
受賞作品等一覧
優秀賞 『夕映えの職分』 南出 謙吾 (大阪府)
最終選考作品 『かいじゅうたち』 松岡 伸哉 (福岡県)
『その先の凪』 山脇 立嗣 (京都府)
『ッぱち!』 霧島 ロック (東京都)
『フラジャイル・ジャパン』 刈馬 カオス (愛知県)
『ムスウノヒモ』 中村 ケンシ (大阪府)
(作品名50音順、敬称略)
受賞作家プロフィール
優秀賞『夕映えの職分』 作者: 南出 謙吾(大阪府)

1974 年生まれ。石川県出身。劇作家、演出家。
大阪を拠点に「りゃんめんにゅーろん」の主宰として、脚本・演出を担う。また、東京を拠点に「らまのだ」の座付作家としても活動。稀に俳優も。「触れただけ」で、2016 年度日本劇作家協会新人戯曲賞受賞。「終わってないし」で第2回北海道戯曲賞優秀賞。らまのだとして「青いプロペラ」にて、2018 年度シアタートラムネクストジェネレーション選出。

審査員一覧
江本 純子(毛皮族・財団、江本純子)
桑原 裕子(KAKUTA)
斎藤 歩(札幌座)
瀬戸山 美咲(ミナモザ)
長塚 圭史(阿佐ヶ谷スパイダース)
選評
江本 純子

北海道戯曲賞第一回から審査員を務めていた前田司郎さんよりご指名を頂き、この度初めて審査会に参加しました。わたし自身が作家として未熟であることも十分承知の上で、逡巡しながら臨んでいます。何と評されようとも、ご自身が信じていることを探求し続けて頂きたいです。前田氏からの引き継ぎメンバーとして、この言葉を引用します。「こんな選評はすぐ火にくべてしまえ」
さて、さっそくゴタクを並べたいと思います。いくつかの作品に対して、「共感」させることに躍起になってしまってないかと心配になりました。作品内から生まれる「共感」ではなく、観客の気を引くためにわざわざこしらえた「共感」。そんな人工共感装置がそこかしこに設置されると、その作品は、人々をまるめこむことを目的とした広告媒体のようになってしまいます。
もっと深刻なのは、観客をまるめこもうという自覚もなく、それが正しい戯曲のメソッドであるかのように「共感」装置をせっせと拵えている事態です。そうではないことを祈りますが、その場合はもはや作者の問題というより広告的表現に毒された社会を作ってきたひとりひとりの責任とも言いたくなります。社会の内部からきっちり検証して、人工共感装置も広告毒されメソッドも火にくべましょう。
無理に共感を持ち込まなくても、作品と観客は「対話」します。作者の考えを戯曲にて思うがまま提示して、観客と共にああだこうだと社会や人間のことを考えていこうじゃありませんか。作品と観客の対話の先に、やっと「天然の共感」が生まれるんじゃないでしょうか。その方が最高じゃないですか。
ゴタクが過ぎますね。ゴタクも火にくべてしまえ。

『夕映えの職分』
右と左が衝突する中心部からちょっと外側の円周にいる、はっきりと右でも左でもない人々。強い信念から突き動くのではなく、常に揺れていて、最前線にいる他者に賛同を決めたり、面倒くさかったら同調したり。その人たちの動向次第では、民意が大きく動いていきます。そして、昨今のtwitter上で見受けられるような、政治的な問題が提起されたときに、左右の両ウイングが攻め合うための論争にすり替わって埒があかない事態(しかも結局本質の問題からどんどん離れていく・・)、を想起させるようなこの戯曲は、エッジーな視点だと興味深く読みました。
リベラルな人物ではなく、右よりな?しかしそうとも言えない単に屁理屈ばかり言って相手を言い負かそうとする厄介そうな人物を主人公としたのもよかったです。観客(読み手)に「あるある」と安易な共感を促すこともせず、主人公の醜態を観客だけが目撃し続けることで「ちがうだろ」と「そりゃないわ」と、饒舌に突っ込まざるを得ない心境になります。観客からの(無言の)積極的ツッコミ介入が追加されることで、この戯曲はより演劇らしく膨らんでいきそうです。作品と観客の対話の形を孕んでいます。このような人物へのツッコミをただ客観的に行うだけではなく、笑ってばかりもいられず自分自身を省みます。わたし自身はそのように促されました。
この主人公が、「すっ」と対話の腰をあげるラストについて、読者としては更にこじれていく展開も期待しました。でも、他者との対極を守り抜こうと己を信じきっているわけでもなく、社会不適合者的に人の話を聞けないわけでもなく、どっちでもなく外側円周をうろうろしている、気の小さい人間ならば・・・。冒頭から、相当びびりながら話しているのかも、と想像が膨らみ、この短い時間での微細な緊張感の揺れに更に注目が及び、腰をあげながら呟く最後のセリフのひねくれ具合が、人間らしさの象徴のように響きました。この短い時間に動き続けていた主人公の揺れを、虫眼鏡で慎重に追いかけていきたくなります。演じる俳優、演出、観客にとって濃密な時間を立ち上げることができる戯曲かと、受賞作に推しました。

『フラジャイル・ジャパン』
最初は被災地の政治利用について描く姿勢に信頼を寄せたい気持ちで読み進めましたが、結果的には悪質なキャッチセールスに遭遇した気分です。
社会的に関心の強い事柄を寄せ集めて、観客の気を引こうとしている「共感」装置満載の戯曲かもしれないという懐疑心が終始拭えませんでした。臨月間近の女性を登場させて展開する筋にも、ドラマチックなシナリオメソッドを感じてしまい、戯曲というより、商業ドラマのシナリオのようでもあります。たとえ商業ドラマのようなシナリオであろうとも、その技巧やセンスが素敵だったら喜んでまるめこまれにいきますが、それも難しかったです。
特に石巻市・大川小学校で実際起こったことの戯曲への取り入れ方は、乱暴に思いました。
この作品が大川小学校のことを全く想起させないくらいの完全なフィクションであったら違ったかもしれませんが、実際に起こったことを十分想起させる描き方をしています。であるならば、そのことについて作者自身が戯曲上で何を語るかと、独自の見解なり、実感を期待しますが、そのようなものは発見できません。この件に対して、主体的になっていないからだと見受けられます。当事者として、大川小学校で起こったことについて向き合っていたら、この戯曲で描かれているような男女関係のシーンを、創作できるものかと、考えてしまいました(今も考えています)。二次創作するような感覚で、表面だけを切り取って、作者が描きたい「ドラマ」の道具にしていないでしょうか。
大川小学校で起こったことは、天災か人災なのか、かんたんに断定できるようなことではなく、いまでも現在進行形で当事者たちが抱えている問答であり、直接当事者ではない人間が当事者的意識をもって共に考えていかなくてはいけない重要な問答でもあります。人間の責任を問う「人災」の側面について、この戯曲のシーケンスのひとつとして描きたかったのかもしれませんが、だとしたら大川小学校を取り上げなくても描けます。
描くならば、事実と繊細に対話していただきたいです。そうでなければ、実際の当事者たちに対して、とても不誠実です。

『その先の凪』
コロナ禍を物語背景に設定した戯曲。コロナの現状を踏まえて描こうという作者の意欲は応援したいです。
が。現代人として、後世に対する責任をもって語っていくことかと思います。コロナ問題を現在進行状態で抱える超当事者として描けることもたくさんあります。今は渦中にいすぎて、語る準備すらできていないかもしれないと慎重にもなります。この作品でのコロナの扱い方に対しては、厳しい気持で受け止めました。
そもそも「この戯曲にコロナは必要だったのか??」 この物語は、白血病を患っている息子(祐治)が亡くなった理由をコロナとしなくても成立するようにも思いました。彼がコロナ感染したこととコロナ禍の物語設定は、新規レイヤーを作成して重ねたようにもとれました。
最後の時に立ち会えず、遺骨が入った箱での対面だったという状況をそのまま台詞で説明しているシーンがあります。ネットニュースやメディアで見聞きした情報をそのまま使っているだけで、そこに作者の見解や実感・・・さっきも同じこと言いましたね(『フラジャイル・ジャパン』にて)。
後半語られていく祐治の行動やエピソードの描写に見えるエモーショナルでフィクショナルな趣も、どこかで聞いたことがあるような使い古された表現のコピーのようで、とても嘘くさいのです。一貫して美化主義ですし。わたしは、登場人物たちの死者に対する行き場のない慚愧よりも、生きている人間の傲りの方を感じました。
コロナ設定もエモーショナルな表現も、共に人工共感装置のおともだち「感動引き起こし装置」の一環としてコラージュされているだけのように思いました。この戯曲は、「死」を使って、泣かせにきてる??そんなに泣かせにこられたら、ハートが冷めてしまいます。

『ッぱち!』
関西弁で編まれた戯曲は新鮮で、旅先の国の戯曲を読んでいるかのようでした。方言独特の音から生まれる、関西弁グルーヴの心地よさにもハマって読みました。人物たちがいる場所の空気とそこで流れている時間が、これまた心地よいリズムで立ち上がってきたので、読んでいて楽しかったです。「笑い」の存在がいつも先頭にあるのは好きな点です。共感装置的笑いではなく、作者の描いたコミュニティにとっての必然として受け止めました。
ただ、筋というか、物語は大雑把で、強く推せませんでした。「本物と偽物」と「本当と嘘」は違うと思うのですが、その両方が混在していました。
この作品に見受けられる差別的表現について、審査会で一瞬話題に挙がり、作者がそれを自覚的に使用しているかどうかが論点となりました。
モラルとか社会的通念を獲得するよりも、人間へのまっすぐな視座を獲得するほうが、差別や偏見がなくなっていく近道かもしれないと思うことがあります。
この戯曲に、作者の差別表現への自覚を問うてしまうと微妙なところですが、人間へのまっすぐな視座を感じ、そこには光を感じます。素朴に人間を見つめるまなざし・・それは忘れたくないなと思いました。

『ムスウノヒモ』
とにかく登場人物たちがよく語ります。物語のテーマとして、必然の語りかもしれませんが・・それでも、その語りの内容を面白がれなかったのは、語りの口調も内容も、プロットのコピペのままのようで、まったく立体的に立ち上がってこなかったからです。読みながら、この作品世界への距離を縮められませんでした。

『かいじゅうたち』
セリフ、人物の描き方、素材のそれぞれが記号的で、古典的な漫画表現のようなセンスが散見されます。・・30年前に読んだ赤川次郎を彷彿とさせます(漫画ではありませんね)。
とても一人の人間が行方不明になった状況とは思えないような人間描写が続きます。これがもし主人公以外の登場人物がみなサイコパスのような人格ならば・・・納得できそうです。
ここに描かれている全ての展開・描写を、「ありえない」や「偶然」がひたすら続くホラーコメディーとして転換したら、面白く成立する可能性もありそう・・とにかく隙がありすぎて世話を焼きたくなる戯曲でした。

以上です。長いですね、読んでいただきありがとうございました。
6作品の作家のみなさんへ。戯曲を拝読し、たくさんの考察点に出会えたこと、感謝します。審査に余計な先入観が入らないようにと、作家のお名前とプロフィールは一切渡されませんでした(今年からそうなったそうです)。お名前は戯曲賞のホームページを見れば掲載されているのでまるわかりなんですが、事務局の意図を伺ったので積極的にはキャッチしませんでした。
またなんらかの作品を通じて対話できたら嬉しいです、勘弁かもしれませんが。

桑原 裕子

今年の候補作の傾向として、死にまつわる喪失と鎮魂の物語が圧倒的に多かったのは、やはり今の特殊な状況を表しているのでしょうか。
『ムスウノヒモ』と『その先の凪』は病によって、『フラジャイル・ジャパン』『ッぱち!』『かいじゅうたち』は事故(過失も含め)によって家族や恋人を亡くし、前に進めずにいる人たちを描いていました。
一定の距離を持って読まねばと思いながら、つい自分事と重ねて感情移入してしまい、冷静に読めない瞬間もありました。審査員として失格じゃないかと思う一方で、戯曲を読むという行為自体、完璧に個人感情と切り離すことなど出来ないのだと開き直りもし、こころの揺れに素直に従いながら読みました。
しかしそれらが安易な悲話に留まっていないか。生死がいたずらに扱われていないか。類似性の強いテーマが揃った今年の審査で、その点は厳然と注視して臨んだつもりです。

私は中でも『その先の凪』に心を揺さぶられました。
候補作の中で唯一コロナ禍であることが明確に示されているだけでなく、息子をコロナで亡くしているというかなり直接的な内容であるため、審査員からはまだ現時点で描くのは早いのではないか?という声もあがりました。確かに、この伝染病に関する情報は日々更新されているため、ほんの数ヶ月前の認識が今とずれてしまう危うさはあり、少なからず抵抗感を抱く人もいるだろうと思います。
ですが容易に出歩くこともままならない今、それでも喫茶店に出かけた老夫婦の想いにはやるせないほどの必然を感じました。対面で話せず、声量や行動も制限されたなかでこそ生きる会話劇。今作においてコロナは抑制や沈黙のメタファーであり、声小さき者たちの想いを丁寧に掬い上げた物語であると私には読めました。最後まで優秀賞に推しましたが、やはり抵抗があるという声が大きく、力及びませんでした。

『ムスウノヒモ』も『その先の凪』と同様、家族を亡くした遺族の思い出話を中心に物語が展開しています。良いエピソードもたくさんありましたが、やはり舞台は「今ここで何が起きているか」ということが重要だと思うので、そこにいない人の思い出がひたすら語られ続ける中盤の家族会議は少々辛いモノがありました。それよりも夫の顔の痣について妻が「寝ているときに手で隠して綺麗な顔を想像したことがある」と告白した瞬間の方が、様々に複雑な心情を想起させられてスリリングでした。
また、遺族や特殊清掃業者が“死者の匂い”について何度も言及していますが、観客にもその匂いは想像によってすり込まれていますし、かつて父だったモノ、の匂いなのですから、そこには痛みも伴います。だから後半まったくそのことに触れぬまま、父親の死臭が遺る部屋に長々と居座り思い出話ができてしまうことに違和感を覚えました。この場で話すべき必要性があるようでいて、ない気がしたのです。

刈馬カオス氏の作品『フラジャイル・ジャパン』は土砂災害という悲惨な出来事によって家族を亡くした町の人びとが、被災地を観光地化して遺すか否かの議論をかわし合います。せめて起きた悲劇を風化させぬようにと形あるものを遺し、心に刻んでいくか。記憶に蓋をし、忘却によって救いを求めるか。遺族、生存者、あるいは救出の不手際により過失を問われた人…質も大きさも異なる傷跡を理解しあう難しさを、政治的な観点も含めて描いていくのは興味深く、徹底的に描けば素晴らしい作品になる予感がしました。でも、この作品の登場人物たちは自らの傷や秘密をあまりにするすると語りすぎています。事故のことだけでなく、亡き妻が見える話や、昔の恋人と別れた理由に至るまで。人ってそんなにたやすく他人に自分のことを打ち明けられるものでしょうか。話す相手や時期を選ぶものだし、傷が癒え、整理出来るまでには人によってとても長い時間が必要で、そんな人のために被災観光地があるのではないでしょうか。各々の問題を早く明示するためにそうした部分が雑になっていたように思います。

昨年「Share」で優秀賞を獲られた霧島ロックさんの『ッぱち!』は、登場する誰もが「自分は本物ではない」という想いを抱いてそこにいる、多種多様な“パチモノたち”のあつまる場所という設定が面白いです。でも実はそのタイトルが示す意味がなかなか終盤まで入ってきませんでした。旧友が突然訪ねてきた理由や、親でも親戚でもない中年ふたりが同居しているわけなどを、あまりにぼやかしたまま長引かせるため、不明瞭な背景の人びとに興味を抱き続けることが難しかったからです。
それでもキャラクターの魅力や会話の愉しさで場を持たせる力が霧島さんの作品にはあると思うのです。が、「Share」では楽しめた少々ベタな笑いが、今回は全般的に古すぎると感じてしまいました。古典的ギャグという意味ではなく、「ハーフのサーファー」や「夜な夜な高級外車を乗り回し、六本木でハイレグ美女と…」といった90年代的な概念が目に余ってしまったというか。わざと古くさく描いてみたというのなら良いのですが、無邪気にそうなのだとしたら下手をすると今は差別的にとれてしまう内容もあるので、アップデートしたほうが良いと感じました。

『かいじゅうたち』を読んですぐに、過去にも最終候補作になった松岡さんの戯曲だと分かりました。福岡弁、茶の間で繰り広げられる朝の風景、疑似親子、交錯する時間…これらの要素が、今まで読ませていただいた松岡さんの作品に通底しているからです。
いつでも私はその軽妙な福岡弁のやりとりに魅力を感じ、疑似親子の関係性に興味を持ちます。しかしいつも同じところでつまずきます。それは、過去と現在を幾度も行き来する中で、登場人物たちの感情があまりに都合よく処理されてしまうことです。
今回でいうならば、事件性の強い出来事があるにもかかわらず、鍵を握る重要人物をあえて10年ものあいだ野放しにしています。その原因は母親の無責任さ、子どもの従順、叔母の献身、父親の無関心などにありますが、どれもこれといった根拠が見えず、それらの性格付けが少女失踪と母親蒸発を強引にミステリにし立てるための作者による恣意的な操作に思えました。
また、前回候補になった作品も今作も、どこかの映画で見たような感覚があります。
既成の作品に影響を受けたり、現実の事件をモチーフにすることは全然良いと思うのですが、もしそれをするならば(特に生死を扱うのであれば)上澄みの要素だけを掬い取るのではなく、自分の中に深く落とし込み、作者の思い通りにいかない人間の心を粘り強く描いてほしいのです。

扱うテーマの重さからどうしても辛い気持ちで読み進むことも多かった今年の候補作の中で、一切、死の匂いが漂ってこなかった『夕映えの職分』には、読後に不思議な爽快感がありました。なにより主人公が器の小さな俗人で、物語を通じて特に成長などしないところがすごく良い。わかり合えていると思ってた人たちととことんズレてしまっていたことに打ちのめされながらも改心することなく気を張って、だけど最後にほんのすこし、ほんのすこしだけ他人の話を聞いてみようとする。しかもそれはたまたま30分時間が出来たから…ちょっと今寂しいから…この人くらいしか話す相手がいないから…という。愛おしい男です。不格好にインターホンと格闘する様や、冒頭で運動会の映像をひとり微笑ましく見ていた姿も後になって思い起こされ、最初はやや反発を持って見ていたこの教師に、最後は哀愁の色気さえ感じました。

私は『その先の凪』と並び、『夕映えの職分』も推したいと思って審査に臨みました。
しかし、大賞なのか、優秀賞なのか、この作品を「どこに」推すべきかでは悩みました。候補作6作品で相対的に見た場合、大賞として選ばれることに異論はなかったのです。ただ、全ての候補作を読んで、ずばり大賞に推したい作品が思い浮かばなかったというのが、審査会に臨む前の正直な気持ちではありました。
様々な視点から議論が繰り広げられた末、南出さんの実力ならばもうひとつ深く食い込んだ作品が描けるのではないか、これが大賞ではないんじゃないか、といった意見に私も頷き、今回の結果となりました。
南出さんおめでとうございます。「夕映えの職分」、是非上演されたら拝見したいです。

戯曲にはどんな形であれ「今」が現出するということを、改めて感じた今年の北海道戯曲賞でした。
ずっと未来にこの2021年をどう振り返るのだろう、やはり異常な年だったと思い返すのだろうか。長塚さんが審査会の最初にそう仰ったのが、とても印象的です。
来年はどんな作品が生まれるのでしょうか。
何を生み出せるのか。自分にも問いかけていこうと思います。

斎藤 歩

『かいじゅうたち』
サスペンスという側面で、謎を追いかけてしまうという意味では読み進められたのだが、美里の告白で一気に陳腐になってしまった。次々に現れる女性たちすべてが、辛い女たちだらけなのだが、それが「かいじゅうたち」なのか?沖縄で出会う偶然とか、ダイビングのエピソードが何なのか?日記の登場も都合がよすぎる。
勇夫がずぶ濡れで帰ってきて「浮いてくる」とか言うあたりがこの作家のイメージの核なのだろうが、人をひき殺して埋めた女のリアリティのなさや、母親はなんでこうまでネグレクトなのかや、不在の間どこで何をしているのかも不明過ぎるし、娘もどうしてこのようにいられるのかにもリアリティを感じられず、私には評価できなかった。

『その先の凪』
台詞で喋りすぎているのではないだろうか。もっと隠していいのでは?そんなに説明してくれなくてもいいし、夫婦でそんなに具体的にテーマに近い中身や心情を言葉にしないはずだと私は感じる。お母さんの態度にも違和感。白血病+コロナという設定や、弟が死んた後の祐治や、その後の祐治に一人の男性としてのリアリティがない。
喫茶店の中の壁紙の色とか、水槽の泡の音など、きちんと計算されたイメージが一貫していて、上手に組み立てられているとは感じる。審査員の中には読みながら涙してしまった人もいたらしい。そういう力のある戯曲だったようだが、私にはどこで泣けてしまうのか全く分からなかった。審査会では、この作品に対する議論に最も長い時間が割かれた。
コロナ禍でこの感染症や感染した人、感染により亡くなった人やその家族をどう描くのか。劇作家は今、コロナ禍をどのように描くのかについても、審査員の間で議論になった。この作品を評価する審査員も複数名いたが、私には、震災遺構を扱った作品同様に、描き方に安易さがある気がして、好きになれなかった。ワイドショーや報道などで知りうる情報をもとにした一般論で個人は描けないのではないだろうか?1万人が感染した、1万人が被災した、ということではなく、一人一人の感染、一人一人の被災が1万件生じたということであって、一つ一つには異なった事情や背景があり、当然個別なのであり、一般論では演劇にできないと私は考える。

『ッぱち!』
審査に入る前、6本の戯曲を読む際、その作品を書いた作家の名前は知らずに読んだのだが、この作家の作品は、昨年読んだ気がした。設定や会話はちょっと面白くなりそうだが、ミチルという妹の態度や雅人の存在の仕方などに無理を感じるのと、同居している二人のオジサンたちが本当にわからない。何でいるのか。訪ねてくる女友達の惚れっぽさも、強引。強引さが面白いこともある。それはわかるし、私も相当強引な本を書くこともある。だがどこか「いいお話」に落とし込まれてしまっていないだろうか?

『フラジャイル・ジャパン』
状況設定が安直過ぎる上に、人物たちの設定も都合がよすぎる。梨南子と遊作の肉体関係は必要なのだろうか?健三のDVも必要なのだろうか?どんなに架空の状況を設定しても、実際に起こった災害の状況が頭に浮かぶ。三陸の小学校での被災や、広島での土砂災害など、具体的な被災地の事が頭に浮かんだ。震災遺構をどう残すのか、壊して次のまちづくりを始めるのか、実際に被災地では真剣な議論が続いており、それぞれの地域が苦闘している。震災遺構を利用した観光開発で街に活気を生もうと考える地域も実際にある。しかしこの戯曲は、そういった表面的な情報を利用して、そこにドラマになりそうな要素を当てはめて書かれているような気がして、好きになれなかった。一つ一つの被災地にある生活は、もっと具体的でもっと根深く複雑だと私は思う。被災地の人たちの葛藤を都合よく利用してはいないだろうか?

『ムスウノヒモ』
人が孤独死をした部屋の掃除をする仕事「特殊清掃」を題材にした戯曲はいくつかある。確かにドラマになりやすい気がするのか、時々見かける。なかなか顔を合わせることのなかった親族が一堂に集まり、亡くなった人のことを話す場面が、劇になりやすいと感じるからだろうが、この作品の場合、台詞に無理がある箇所が多いと感じた。人物の設定が大雑把なのだろうか。わざと対立させて問題を表面化させている部分が多い。お客さんを怒らせてしまう特殊清掃会社の女性社員の過去のボランティアにおける体験談や、顔の痣に対する母親の態度を語る場面にも、どこか腑に落ちない無理を感じる。

『夕映えの職分』
今回の6作品の中では、一番かと思った。次々に電話やインターホンに対応する場面などが、なかなか滑稽で、なぜか低いところにあるインターホンなど、世の中にある何故だかわからないがそうなっている不条理が面白い。君が代を歌わせようという、ノンポリな発想をする人物を主人公にしている点もいい。一人芝居はあまり好みではないが、とても気になった。しかし、大賞か?と問われれば、そこまでは至っていないと思ってしまった。
北海道戯曲賞の審査員をずっと続けていて、これまでなかなか大賞を出せずにいた。毎年このことが議論になってきた。大賞を出すべきか、出さないのか。今年、当初から審査員を一緒にやってきた前田司郎さん、土田英生さんも今年からいなくなり、新しい審査員の皆さんと議論した。これまでの審査基準を一旦取り払って、新たに大賞となる基準を見いだせないかという期待もあった。しかし、私以外の審査員の皆さんも、私と同様の感想をお持ちだったようで、「大賞か?」と問われれば「う~ん」と首を傾げてしまったようだ。
確かにこの作品、後半、バタバタと教師が職員室を動き回り、次々に降りかかる災難に立ち向かうさまは面白いのだが、そこに至るまで、一人で教頭先生に電話で話しているときのセリフや、仕立てに工夫が足りない気がしている。今主人公が置かれている状況の説明が長々となされるわけだが、その説明が直接台詞で語られるのだが、そこが弱いと思う。この前半の独り語りの言葉の選択や、単なる説明に終わらない仕掛けがあれば、私も満足できたのではないだろうか。

瀬戸山 美咲

今年から審査員をつとめることになりました瀬戸山美咲です。よろしくお願いいたします。
最終候補に残った戯曲は、不在の死者を生きている人が想像する作品が多かったように感じました。ほかの審査員の皆さんから今年特有の傾向だと伺い、今だから感じること、今しか感じられないことが戯曲に強く映し出されていたのだと思いました。ただ、それが個人的な「気分」の中でとどまっている作品も多く、今を描くことの難しさも実感しました。

『かいじゅうたち』は読み始めてすぐ作品の世界に引き込まれました。同じ日に主人公の母親と近所の少女が行方不明になるという不穏なセッティングは見事だと思います。ところが残念ながら物語が進んでも同じところをうろうろして、謎が解明されたり深まったりという展開はありませんでした。最終的に明らかになった事実もとってつけたような印象でした。とはいえ、ミステリーとして完結させる必要があったかというそうでもないと思います。育児を放棄した母親と置いていかれた娘が、それぞれ何を思って今日まで生きてきたか、そして再会したときに何が思うか、そのふたりの心の深層がしっかり描かれていれば力強い作品になったと思います。ただ、その方向の描写もかなり食い足りなく感じました。タイトルから想像するに「人間のわからなさ」を描きたかったのだと思うのですが、この作品の登場人物たちはただ感情が薄く、浅い感傷に溺れている人たちに見えました。

『その先の凪』は好きな作品です。感染症が蔓延して不要不急の外出を控えなければならない状況でも、わざわざ会って話さざるを得ない人たちの姿に人間の本質を見ました。今、たくさんの悲しみの中で、自分の悩みなんてたいしたことないから我慢しなきゃと思っている人は多いと思います。この作品はそういうひとりひとりの人を肯定してくれる気がします。これは亡くなった人を想像する作品のひとつですが、「取り返しのつかないこと」「確かめようのないこと」をしっかり描き、生きている人たちの心の「やり場」にフォーカスを絞っているところが他の作品より優れていたと思います。また、横一列の座席とささやき声の会話や、喫茶店の壁の色や鏡の存在、水槽の音など、ビジュアルや音への意識が明確だったのもよかったです。ただ、ところどころでテーマを語りすぎていることが気になりました。自然な会話を書けているとは思いますが、もっとお客さんに委ねていい部分があるかもしれません。また、最終的に息子はコロナで亡くなったという設定ですが、その描写がニュースなどで知る事実を超えておらず、必然性があったのかは疑問が残りました。そのような部分をもう一度見つめて書き直したら、2020年を記したものとして残っていく作品だと思います。

『ッぱち!』は宙ぶらりんな人たちの宙ぶらりんな場所での宙ぶらりんな会話が妙な味わいを醸し出している作品でした。ただ、主人公の恋人がもう亡くなっているのだろうということが最初からわかってしまい、最後に真相が語られても「そうか」という印象しか残りませんでした。むしろ、最初に真相を明らかにした状態で宙ぶらりんを描いてもよかったかもしれません。もうひとつ気になったのは、登場人物表の白石ケンの箇所に「ハーフのサーファー」と書いてあったことです。「ハーフ」であることが彼の人間性を決めているような書き方に違和感を抱きました。「ハーフ」という言葉そのものに潜む差別性にも無自覚だと思います。物語の登場人物たちは必ずしも倫理的に振舞う必要はないですが、作者は差別や偏見を認識しながら書く必要があると思います。

『フラジャイル・ジャパン』は構成がしっかりした作品でした。冒頭10ページまでに舞台となる街の人々が抱える問題を明らかにし、その後の情報開示のタイミングも周到に計算されていて非常に読みやすかったです。さらに、亡くなった妻が壁の隙間に立っているのが見えるという描写が、強固な構造の中で余白のように感じられ心惹かれました。しかし、この妻に死後の町の記憶もすべて知っているナレーター的な役割を与えたことにより、その漂う「気」が消えてしまったのが残念でした。彼女を亡くなったときの時間軸に置いていたら違っていたかもしれません。また、作品全体としては、題材になっている実際の出来事の印象が強いため、少し設定を置き換えただけでは現実に負けてしまい、題材として利用しているように見えてしまう恐れがあると感じました。もっとフィクションとして構築するか、現実に寄り添うならばとことん寄り添ってその出来事に実際にかかわった人が観ても何かを感じられる作品にするか、どちらかを選択したほうがよいと思います。

『ムスウノヒモ』は孤独死した父親の家に集まる人たちの話ですが、場所への意識が低すぎると思いました。『フラジャイル・ジャパン』も人が亡くなった場所が舞台ですが、9年のときが過ぎているため人が集まることもどこか受け入れられたのですが、亡くなったばかりで遺品整理をしている状況で家族たちがこの場所に居続ける理由がわかりませんでした。また、ひとりひとりが語りすぎていること、セリフだけで話が進んでいることが気になりました。語られるエピソードひとつひとつは興味深かったのですが、エピソードのためにセリフを書いているような印象も受けました。

『夕映えの職分』は今回唯一声を出して笑った作品でした。一人芝居ですが電話やインターフォン越しに相手が存在する会話なので、最後まで飽きずに読めました。何より主人公に確固たる思想がないのが面白いです。運動会で一等賞を取った生徒にオリンピックにならって国歌斉唱させる先生、という人物像が絶妙でした。その無邪気さとそれゆえのたちの悪さをセンスある台詞で書いていて、実在感を持った人物として迫ってきました。今の政治の状況を見ていると、なぜこの政治家に投票する人たちがいるの? と疑問を感じることもたくさんありますが、この芝居の主人公のような人がたくさんいるのだと思えました。そして、彼のような人物こそ、演劇で描かなければならないのだと思いました。個人的には、最後、対立している先生と話をすることを受け入れる箇所が少しあっさりしているように感じましたが(現実ではもっとたちが悪いと思うので)、でも作品としてはちょうどよい加減だと思います。よくできた作品ですが大賞まで推せなかったのは、もうひとつ現実を突き抜ける視点が欲しかったからかもしれません。しかし、ぜひ生で上演を観て大笑いしたいと思う作品でした。そういうパワーが感じられる戯曲です。南出さん、本当におめでとうございます!

長塚 圭史

非常事態の2020年に書き上げられた戯曲群は、社会問題へ視界を広げようとする傾向が多く、昨年までの作品群とは明らかに違っていた。焦点がある程度定まっているため、そして共有する問題意識への刺激ということもあり読みやすい作品が多かった。

『かいじゅうたち』はネグレクト、そこから生じる孤独と貧困、未解決の行方不明事件とその家族の心理、果ては殺人事件などへ展開していく社会問題を取り入れたサスペンス調の劇なのだが、少ない登場人物の中で全ての事件を収束させたがために、提起された(あるいはされてしまった)様々な問題はそのスケールにそぐわぬまま結末を迎えた。例えば家族であっても、各々個人に過ぎず、決してわかりあうことが出来ない、ということでもいいのだが、作者が重心を置く視点が欲しかった。前回前々回も最終候補に残った作者の作品は、卓袱台のある居間、奥の台所、そして隣家へと続く小さな庭のある縁側を舞台に、時間・空間を超える家族劇を扱うことが多い。というかもはや執着していると言っていいのではないかと思うのだけれど、その執念のようなものはどこから来るのだろう。永遠に使い続けたい舞台装置を既に所有しているのだろうか。などという関心を抱いたのは余談である。

コロナ禍の現在を舞台に描いた『その先の凪』。おそらくこの作品が審査会で最も議論の対象となったのではなかろうか。厳然とそこにある解決の糸口がまだはっきりとしていない問題を扱う際に起こり得る反応には頷ける部分も多くあったが、老夫婦の不機嫌な会話や、マスクをつけた物静かなウエイトレスの佇まいなどに私は好感を持った。ただ一点、どうしても理解しきれずに推せなかった。コロナ禍、喫茶店に訪れた老父婦。重度の基礎疾患があった為にコロナ感染で死亡し、会うことも叶わず骨壷に納められて帰ってきた息子を回想するため、あるいは理解し、罪滅ぼしをするため、息子の元婚約者と対話する。老夫婦はかつて息子とこの女性との結婚を認めなかった。彼女は当時DVから逃れてきた子連れのシングルマザーであった。一方コロナで死んだ息子と老夫婦の間には誰にも語らぬ辛い思い出がある。それは幼い頃海水浴でふざけて浮き輪の空気を抜き、弟を死なせてしまったということ。この罪を引きずった家族の胸中が明らかになってゆく。しかし婚約者の連れ子とその海で死んだ弟の名前が合致するということが明らかになる場面で私は急に劇から追い出されたような気持ちになってしまった。名前が同一であったことがキッカケとなって女性との関係が始まったのだとすると、何やら急に焦点が掴めなくなったのだ。この事実は作劇として偶然であるはずもない。しかしかつての弟の死や同一する名前という衝撃の事実を聞いた際の元婚約者女性の落ち着いた反応に私は困惑してしまったのである。これには様々な見方があるだろう。ただ私はそこで宙に浮いたまま結末を迎えてしまった。読み返してもその浮遊感は払拭出来ぬままであった。

『ッぱち!』は前年の優秀賞受賞者だと読み始めてすぐに気がついた。スルスルと楽しく読んだ。逆に言うと微細を突っ込まずに読まないと度々立ち止まってしまう。舞台となる古道具屋の主人が、旅に出たまま戻って来ない恋人の父と同居しているというそもそもの設定や、登場人物の性格付けも荒っぽい。恐らく特定の俳優に向けて存分に当て書きされた作品で、常連の観客を楽しませたであろうと予想するが、本賞の対象ではないと判断した。愉快な関西弁の会話は作者の得意とするところ。書き続けて欲しいと思う。

『フラジャイル・ジャパン』は劇構成がしっかりしていた。作者は資料もよく調べて特定の事故・場所とならないよう配慮し、いくつかの事実を織り交ぜたのだろう。だが寧ろ審査会ではその織り交ぜ方が批判を呼んだ。私は構成としてはまとまっているものの、中心人物である伊達健三だけに見える幻とも幽霊ともつかぬ先立った妻・梨南子が、立場を判然とせぬまま、オールマイティに劇全体のナレーションを務めることに強い違和感を覚えた。そして十年前豪雨による土砂崩れが直撃して多くの人が命を失い(幻の妻はそれ以前に亡くなっている)、その保存如何が問題となっている廃墟となった小学校の教室が舞台となるのだが、事故から既に時間が経っていおり、そして架空の地域であるとは言え、こうした事故現場で劇が展開することにも素直に賛同出来なかった。

印象深いエピソードが多かった『ムスウノヒモ』。樹海の入り口へ出向いたときのカラフルな紐のイメージやハーモニカが見つかる幕切れなど。ただあまりに饒舌である。孤独死した父の最期の部屋で特殊清掃業会社の人々までもが次々に口を開く。寧ろ死者の思い出を饒舌に語る滑稽、誰一人黙ることなくひたすら語りまくる中で、孤独死と向き合う遺族、いずれ我が身にも降りかかる老いの問題を描くことは出来なかったのだろうか。

『夕映えの職分』。どこまでも器の小さい主人公教師に笑った。またこの矮小で思い上がったノンポリ教師の圧倒的本音で語るポピュリズム的言動に、我々が正面から向き合わずにいる、自己の中にもある弱肉強食の論理や、長いものに巻かれて多数意見に乗り掛かる安心など、チクチクと刺激されて心地よい。優秀賞に相応しいと最初から推した。

大賞が出なかったのは何故か。この戯曲賞の審査基準が審査員の独自の視点であって良いと認識した上で、やはり鮮烈を求めるからである。巧者は現れるものの、作者の肉体から紡ぎ出される圧倒的な台詞・視点になかなか出会わない。ギリギリ決着のところで溢れ出た作品…との出会いを求める場所なのかどうなのかわからないのだけれど、少し行儀が良すぎる。どんなに個人的であっても、広く社会的であっても、沈黙を続ける劇であってもいい。迸るものを求めるのである。お前自身はどうだと問われて俯かないように我が身に冷徹の眼差しを浴びせつつ。

受賞作品
令和2年度 北海道戯曲賞 優秀賞 『夕映えの職分』(PDF形式:301KB)   PDF
第6回 2019年度(令和元年度)
データ
募集期間令和元年7月1日~9月5日
応募数133作品(新規88作品)
男女別
男性女性
88名45名
年齢別
10代20代30代40代50代60代70代
4名37名40名26名16名9名1名
都道府県別
東京都北海道神奈川県大阪府福岡県埼玉県千葉県京都府愛知県福島県
50名19名9名9名7名5名5名5名3名2名
兵庫県奈良県和歌山県広島県愛媛県群馬県栃木県新潟県静岡県岡山県
2名2名2名2名2名1名1名1名1名1名
山口県徳島県高知県宮崎県
1名1名1名1名
受賞作品等一覧
優秀賞 『さなぎ』 本橋 龍
『Share シェア』 霧島ロック
最終選考作品 『あいがけ』 鈴木 穣 (千葉県)
『害悪』 升味 加耀 (東京都)
『さなぎ』 本橋 龍 (東京都)
『さよなら、サンカク』 松岡 伸哉 (福岡県)
『Share シェア』 霧島ロック (東京都)
『須磨浦旅行譚』 宮崎 玲奈 (神奈川県)
『ハイライト』 大池 容子 (東京都)
『私 ミープヒースの物語』 戸塚 直人 (北海道)
受賞作家プロフィール
優秀賞『さなぎ』 作者: 本橋 龍(東京都)

1990年生まれ。さいたま市出身。高校の部活にて演劇を始める。
その後入学した尚美学園大学で演劇を学ぶが、2013年に大学を中退。実家から家出し、そこから自身の創作ユニット「栗☆兎ズ」で劇作活動を本格的に始める。2016年、江古田に居住し活動の拠点である「栗☆兎ズ荘」(木造二階建ての一軒家。後のウンゲ荘)を構える。8回の演劇公演を経て、ユニット名をウンゲツィーファに改名。
上演作品『動く物』が平成29年度北海道戯曲賞にて大賞を受賞。
創作の特徴はリアリティのある日常描写と意識下にある幻象を、演劇であることを俯瞰した表現でシームレスに行き来することで独自の生々しさと煌めきを孕んだ「青年(ヤング)童話」として仕立てること。

優秀賞『Share シェア』作者: 霧島 ロック(東京都)

大学在学時に演劇部に所属。役者として活動を始める。地元の関西から東京に居を移した後は、小劇場を中心に舞台出演を重ね、2005年「ここかしこの風」の旗揚げ公演に参加し、以降ほぼ全作品に出演。
2015年より、役者のみならず、作・演出も担当するようになり、2019年に「ここかしこの風」から「ここ風」に改名した現在も、同団体の活動を基軸に、他団体への客演も積極的に行っている。
所属事務所エクリュでは、主にCMナレーション他、映像作品など、役者として舞台以外の方面でも、多く活動している

審査員一覧
桑原 裕子(KAKUTA 主宰)
斎藤 歩(札幌座チーフディレクター)
土田 英生(劇作家・演出家・俳優/MONO代表)
長塚 圭史(阿佐ヶ谷スパイダース主宰)
前田 司郎(作家・劇作家・演出家・映画監督/五反田団主宰)
選評
桑原 裕子

今年で二度目の参加、大賞と優秀賞が三本出た昨年が私にとって初めての北海道戯曲賞です。だから基準が厳しくなっていると思うのですが、今年は「好き」と思う戯曲はあっても、大賞に値する作品かと考えたときに迷ってしまいました。
あるいは、どうしたって好き嫌いで読んでしまう部分はあるのだから、個人的な想いでも激しく推せるものがあればよし、とも思うのです。ただ今回はすべての候補作を読んでもそこまでの熱量に至らず、突き動かされるようなものに出会いたかったという思いが残りました。

たまたま今年の傾向なのか、短いシーンをコラージュし、時間や空間をずらしたり、前後にねじったりする作品が多かったように思うのですが、その手法自体は面白いところがあると思うものの、複雑なプロットに対して台詞が追いついていない印象がありました。
設定や背景の状況を曖昧な会話でぼやかす、というやり方が乱雑に使われすぎていないかと思ってしまったのです。
プロットを工夫するうえにも、生きた言葉が必要であること。それらを丁寧に、根気強く、豊かに紡ぐ作業を見たい。と、これは同じようなスタイルで書くことがある私自身へも向けた自省の念です。
以下、そうしたこともふまえ、すべての作品に触れてみます。

『さよなら、サンカク』は過去と現在を行き来する構成に確かな技術を感じる一方、冒頭で家族構成を説明するためにやたらと説明台詞が続いてしまうのが勿体ないと思いました。
主人公の女の子が置かれる状況が恐ろしく悲惨であることは想像できるし、名前を取り戻すシーンもジンとしました。が、人格崩壊を起こしてしまう前の、元がどんな子だったのかをもっと知りたかった。これだけ重い題材を扱うなら、彼女の人生を覚悟して背負ってほしいです。そうでないと、ただ悲惨な目に遭った子がどう再生するのかを描いてみました、というショック&感動ポルノに留まってしまう気がするのです。

昨年も優秀賞を獲った本橋さんの『さなぎ』は、大晦日から年明けまでの数時間を切り取り、日本と異国、時差のある二つの空間を重ね合わせるというアイディアがとても魅力的でした。
ただ、そこで出てくる「曖昧な会話」は、時間や空間をシームレスにするためあえてそうしている体なのだけれど、もしかすると作者が掘っていないところを都合よくぼやかしているのでは?と訝ってしまうところもありました。
また、ジロウ、テツ、父という一つの軸を構成している家族が、三人とも共通して女性との距離の詰め方にある種の幼さを感じ、反して女性の登場人物はやや類型的に見えました。描き分けの偏りを独自の個性とみるのか、視野の狭さとみるのかという点で、今作に関しては後者に感じ(昨年は魅力に映ったのです)、大賞に推すことはしませんでした。
でも、すでに作者の持ち味というものが確立していて、それ自体がすごいことだと思います。だから優秀賞に異論はありません。

『須磨浦旅行譚』
会話のところどころが虫食いになっているようで、1ページ読み飛ばしちゃったかなと何度も引き返す作業で読むのに苦労しました。あらすじがないとわからないストーリー、あまりにも主語がなさ過ぎる会話は、作者の自己完結が過ぎるのでないかと思います。ただ、それが効果的に見えるような、光る会話もありました。そして徐々にその文体に慣れていくと、車内から海を眺め、古墳や食堂に立ち寄りオムそばを食べ公園にたどり着くだけのちっぽけなロードムービーが、不思議と心惹かれて楽しかったのです。なにげないのに忘れられない、ある一日を切り取る目線に味わいがあり、演出してみたいとちょっとだけ(技量を試されますが!)思いました。

『ハイライト』
かつて多くの地方出身者が憧れた東京はもう存在せず、崩壊してしまった町の中で人のなりをした交通安全ロボットだけが手を振り付けている、という絵。さびしくもどこか間の抜けた姿を想像してわくわくし、そんな安全太郎に恋をする女という設定にどきどきしました。ところが、どんな変態的な恋物語になるかと思いきや、そこはさほど描かれていなかったので少し残念に思いました。
前回大賞に選ばれた『バージン・ブルース』同様、限られた人数でテンポよく空間を移していく自由自在で軽やかな筆致は作者の強い武器なのだなと思います。
ただ今回はいつまでも軸が見えないまま強引に場所や時間を飛ばされていく感覚でした。
全員希薄な関係性の登場人物だけで構成するストーリーにおいて、彼/彼女らがどう近づいていくのかという過程は重要な牽引力だと思うのです。そのあたりが端折られていて、いつの間にか皆が当たり前にわいわいとおしゃべりし始めたので、どこへ行き、何をしていても、すべてが「ごっこ遊び」のようなところで停滞してしまい、彼らの過ごす特別な夜を深く追いかけられなかったのです。

『私 ミープ・ヒースの物語』
ゆがんだ政治思想に慣らされていく人々への不安や恐怖、信念を貫こうとしながらも迷い葛藤するミープの姿を今、この時代に描くことには意義があると思いますし、真摯に物語を描く姿勢に好感を持ちました。それでも読むほどに重複した解説がくどく感じてしまいました。教科書を読んでいるようで、生きた会話を感じにくく、理解はできても個人の抱く想いへの共感までには至らなかったのです。終盤、ラウラとの関係があそこまで大きなものになるならば、はじめからミープとラウラの友情関係に焦点を絞ってもよかったのではないでしょうか。この関係こそが今作の最大の魅力だと私は思いました。二人の幼なじみが、時代のうねりのなかでどう変化していくのか。そこを克明に追っていくことで彼女たちを取り巻く社会も見えるでしょうし、もしかすればアンネが登場しなくても良いくらい、オリジナリティのある芯の強い作品になるかもしれません。

『あいがけ』
今年の候補作のなかで、私にとって最も「ちょうどいい」対話の距離感を感じたのがこの作品でした。虚無的な礼司と異国からやってきたマレーシア人・アニ、喪失を抱えた寄る辺なきもの同士が、頼りない糸をたぐり寄せるような会話がとてもよかったです。芝居の狭間でガタガタときしむ家、礼司の妹・敬子のかさついた心に水がたまっていくような雨の描写も印象的で、やわらかく沁みる読後感がありました。
私はこの作品が好きです、という想いでささやかに推しましたが、賛同は得られませんでした。そこをなんとか、ともう一歩強く推せなかったのは、アニが純真に描かれすぎなのでは?というほかの審査員の方々の意見に納得してしまったからでもありますし、出てこない人物の設定が複雑すぎるという声に対し、その必要性を私も強く主張できなかったからです。
世捨て人のような礼司が単に私好みの色気を発しているだけなのかしらん…などと考えてしまったりもしました。でも、色気のある台詞が描けるってすごいことですよね。

『害悪』
人工知能が指揮するAI戦争だとして、なぜ兵士は生身でなくてはならないのか?戦没者が出た場合そっくりなアンドロイドを贈るなら、はじめからアンドロイド同士で戦えばいいじゃないか?と、冒頭の設定からしてうまく乗れずにいました。だから、実はこれこれこうで…と種明かしが来ても、むしろなぜ人々は最初にそこを疑わなかったんだ、とつっこんでしまいました。
劇場をどう使うか立体的に想像して書いている本で、現代的な会話のリズムにセンスを感じます。挑発的な台詞の数々も、アバンギャルドに攻めていく作風として突き詰めればこれからもっと面白くなりそうな気がします。でも、どの人物もやたらと他者を馬鹿呼ばわりするのは、露悪的に見せているのだとしても語彙が足りないのではないかと思います。

『Share シェア』
ボケとツッコミの応酬はちょっと疲れながらも楽しく、ここまで関西ノリが満載のワンシチュエーション芝居は一周回って新鮮にも思いました。ベタながらも愛すべき住民たちのやりとりに何度も笑いました。早希はさばさばしている部分と脆さのバランスが魅力的で、周りがほっとけないのがよくわかります。
とぼけた明るい会話の中に普段は埋もれている悲劇が、時折誰を傷つけるためでもなくぽっと立ち現れる様も、ほとんどうまくいっていたように思います。ただ、最も深い傷に触れる温泉旅行のくだりを故人である香織に夢のなかで語らせてしまったところは惜しい気がしました。
バランスがよく、楽しめた作品ですが、大賞に推すのには何かもうひとつ足りない。それは何かというのを「スタンダードで破綻がないから」と書くとわかりやすいのでしょうが、この言い方は個人的にためらってしまいます。私自身、何度もそう言われてきましたし、得てしてこうしたストレートでアットホームな作風が戯曲賞で評価されにくいことも経験から知っています。
けれど登場人物ひとりひとりに愛情を注ぎ、丁寧にプロットを積み上げていくこと、細やかにユーモアを盛り込む努力もふくめて、評価したいと思いました。破綻がなくてもいいじゃないか、面白ければ、と、角のない丸い石を愛でるような気持ちで優秀賞に推しました。

ただ大賞に値する作品には、やはりもうひとつ強烈な何か、を求めてしまいます。なにかにめちゃくちゃ怒っているであるとか、気の毒なくらい傷ついているであるとか、作者個人の激しい衝動、あほみたいな欲望、禿げ上がるほどの執着、むきだしの赤い肉が見えるもの。
そんな作品にここでまた出会えることを期待していますし、私も描かねばと思います。

斎藤 歩

最終候補となった8作品を読ませていただき、最終選考会には、残念ながら大賞に推せる作品がないと感じながら臨みました。ただ、他の委員の皆さんの意見も聞いて気が変わることや、私が読み取れなかった魅力に気づかされることも期待しながら、臨みました。しかし、他の委員の皆さんも同様の印象だったようで、今回は久しぶりに大賞を選ぶことができませんでした。優秀賞にも選ぶ作品がないのではないかという議論にもなり、最後まで悩みました。今回は本当に大変でした。

『あいがけ』
アニがマレーシア人であることや、登場しない母親(妻)が中国人であることがこの戯曲にとってどれだけ切実なのだろうか?登場人物の設定や性格付けが大雑把だと思った。

『Shareシェア』
人の出入りのタイミングや、シェアハウスの雰囲気、登場人物の特殊性の際立たせ方、会話によって明らかになる背景など、達者だとは思った。ただ主人公に秘められた背景が明かされるのが遅すぎて、明かされた後のドラマも乏しい。そこそこ面白いものとして上演されるだろうとは感じたが、強く大賞に推せるほどの魅力は感じられなかった。

『害悪』
携帯電話やLINEが頻繁に使われているのだが、その使い方が雑過ぎないだろうか?アンドロイドと呼ばれる人物が実際には舞台に現れることがないので、あとでそれがチップを埋め込まれた人間だったと明かされても、どうもピンとこない。荒唐無稽で大掛かりな設定にリアリティなど必要はないと思うのだが、政府機関の電話受付で働く女性の親戚が大臣であるとか、人物たちの出会い方や、友人関係など、その設定があまりにも都合が良過ぎる。

『私 ミープ・ヒースの物語』
好感は持てた。こういう演劇を今、この国で立ち上げたいという作家の創作根拠を強く感じた。ただ、主人公のミープとは生き方や考え方の異なるラウラとの関係の変化を軸に描くことができなかったのだろうか?「かつてこういう困難な状況の中でも信念を貫いた人物がいました」という偉人伝的な戯曲で、現れる人物が悪い人、いい人、気の毒な人、という表面的な描かれ方ばかりで、説得力に欠ける。主人公が真情を吐露する台詞が多く、そんなに多くの言葉を費やすことよりも、人と人の関係で見せてほしい。

『さなぎ』
極めて個人的な世界で独特の持ち味を感じ、力のある作家だと感じたのだが、どうにも面白がることができず、何度も繰り返し読み返した。女性の描き方が稚拙過ぎないだろうか。それもこの作家の個性と言えばそうなのだろうが、共感に至れなかった。LINEを使ったやり取りを舞台上に現わす作家が増えてきているが、現代のコミュニケーションツールの表現現場での扱い方に、工夫が欲しい。

『須磨浦旅行譚』
選ばれた場所設定、人物の設定、エピソード、地域特性、会話の言葉の一つ一つがどこまで吟味されて書かれたのだろうか?ぼんやりと曖昧で、この人たちでなければならない強烈な根拠、この地方でなければならない根拠のようなものを感じることができなかった。

『さよなら、サンカク』
こうした事件の表面的な見え方を借りた印象。好感が持てなかった。過去と現在を行き来する構造が、加害者と被害者の家族の対比を現すことに効果的に機能していない。人間が抱える闇とは、もっと理解のできない、不可解で深いものなのではないだろうか。

『ハイライト』
何でアゴラ劇場でなければならないのか。作家の悪ふざけが程よく機能していれば面白いのだと思うのだが、どうも楽しめず、入り込めなかった。出演する俳優を想定して書かれていて、上演されたものは観ているときは楽しめるものになったのだろうが、心に残る演劇になれたかと言えば、物足りないと思う。何で仙台なのか。東京2020オリンピックでの圧死事故で、東京が崩壊するという設定にも説得力や必然性を感じられず、面白がれなかった。

土田 英生

個人的に気になった作品の順に雑感を述べさせてもらう。

まず優秀賞となった『Share シェア』は登場人物のキャラクターも書き分けられているし、会話が自然でいい。関西弁もいやらしくなく響いているし、シェアハウスにいる住人たちの滲み出ている人情も読んでいてとても幸せな気持ちにさせられる。私はこの作品を一番に推した。しかし大賞には至らず、それに納得もしている。上手に書けてはいるけれど、作品が勝手に歩き出すような、そうした迫力を獲得できていない気がするからだ。これは完全なウェルメイドコメディではない。群像劇としてそれぞれの登場人物が描かれながら、早希と、故人である香織が物語の主軸になっている。この軸が弱いのがもったいない。加害者ではないのに憎しみを抱くという構造はとても面白かったのだが、他のエピソードに隠され、このドラマが広がらないのが致命傷だと思った。

同じく優秀賞である『さなぎ』は時差の違う二つの場所で展開するというのが発明だと思った。年を越す時に生じる四時間の差、初日の出を待つまでの夜と朝の間、そうした中途半端な時間とさなぎである状態がリンクしている。また、わざわざ露悪的に登場人物たちに不幸を背負わせることをせず、それでいて生きていることへの歯痒さを感じさせていることにも好感を持った。ただ、LINEというツールの扱いが陳腐だったのと、物語の触媒となるハナが描ききれていないことに不満が残った。

『さよなら、サンカク』は書き慣れているなという印象を持った。最後まで飽きることなく読み進められるのだが、光の当て方が曖昧だと思った。明子と母、正輝とその母、それぞれの親子の関係性に焦点を当てているのか、それとも監禁されている明子の話なのか。私としては監禁から出て来た後の、明子と幸子の話に特化させた話を読みたいと感じた。設定が設定であるので劇的ではあるし、上演すれば迫力のある舞台になることは想像できる。ただ、実際にこうした事件があることを考えても、扱うのであれば題材にするだけでなく、作者自身の痛点を感じたかった。

『あいがけ』は家の縁側で交わされる会話から、人生の悲哀を感じさせる作品だったが、敬子がアニに心を開いて行く過程をもっと丁寧に描いて欲しかった。また、背景となる真帆や別れた妻の情報の出し入れを考えて欲しい。

『私 ミープ・ヒースの物語』は単純に足りないのは差し引く技術だと思う。史実をもとにしている分、色々と書きたくなる気持ちは理解できるが、例えばミープとラウラの関係に力点を置いてみるなど、「どこを描けば広がるのか」を考えてくれるとよかったと思う。ミクロを書いてマクロを描くというか、全体を俯瞰せずに書くからこそ人の想像力を刺激するという、演劇の魅力を信じてみて欲しい。

『ハイライト』は冒頭、安全太郎と結婚したいという始まりこそ面白かったが、それ以降のイメージの広がりに熱量がなくなってしまった。言葉のチョイスなどは面白いのだが、ラストに向けて話がうねっていかなかった。

『須磨浦旅行譚』はロードムービーを見ているようだった。ただ、普段、ドラマをベースに書いている私にとってはあまりに情報が分かりにく過ぎた。死んだカナコ、その人が好きだった藤くんに会いに行くということにはなっているのだが、読んでいる限りその背景も理解できない。それでいいという審査員もいたけれど、私は肯首できなかった。松田さんという他人が一緒に行くきっかけなどは、すっ飛ばさずに一応の工夫をしていることから判断しても、他の部分に関しても何かしらのアイデアが必要だったのではないかと思う。

『害悪』はSF的世界をリアリティのある形で描くのであれば、その世界で生きる三姉妹からの視点にした方がいいと思う。「私」のところでも書いたけれど、こうした世界をこれだけの登場人物で外側から書くことには無理があり過ぎると感じる。

今回、大賞を出す出さないに端を発して、審査員の中で戯曲賞のあり方について議論になった。うまく書かれたものが評価されるのか、荒削りでも熱量の高いものが評価されるのか。審査員個々の考え方にもよるけれど、これはとても難しい問題だ。
最後になりましたが……霧島ロックさん、本橋龍さん、おめでとうございました!

長塚 圭史

全体的に決定打のない印象だった。
驚いたのは、とにかく登場人物の多くに覇気がない。日々の生活に押し流されて行く中で、どうにかうっすらとした自分の視点を掴もうというようなものが多かった。それが悪いわけでなはない。生活とは時にそういうものであろう。しかしあまりに誰も彼もが浮遊している印象に戸惑った。喪失感なのか岐路なのか自分探しなのかわからないが、労働者が極めて少なかった。
優秀賞に『Share シェア』『さなぎ』が決まったが、私は大賞・優秀賞共に該当作品なしと提案した。

『Share シェア』は全体的な構成が上手く、キャラクターもそれぞれ魅力的で、関西弁の応酬も愉快、大変読みやすかった。半年前に事故で亡くなった親友・香織の登場なども自然で、主人公・早希の心象を広げる。だが、早希が間接的原因となって娘を亡くしてしまった香織も、その後事故死してしまっているという設定に違和感が。この悲劇の重なりはかなり特殊で且つ深刻な傷を主人公に与えるはずである。香織さえもが死んでいるという複雑な状況をもっと描いて欲しかった。全体的なバランス感覚は優れていると思うので、今後、大いに骨太のウェルメイド作品を生み出して欲しい。

『さなぎ』は正確に読みきれなかった。前田司郎氏の見事な解説を聞いて、なるほどそういう風にも読むことが出来るのかもしれないと納得したというのが事実である。私には、記憶や時間が溶け合う描写が詩情となって輝かず、あるカップルに纏わる人物たちの、とりとめのない年の瀬が過ぎてゆくばかりに感じられた。それぞれのエピソードに魅力はあり、またダイアローグのリズムも楽しめる。終幕、異国で出会ったハナがシーツの中から文字通り孵化するように目を覚まし、この世界にある時間の区切りというのは実は存在しておらず、ただ夜と朝があるだけだと語り、シーツから孵化して今日を生きようと決意する。このモノローグが腑に落ちなかった。これまでの家族や旅行の風景と繋がらないまま終わってしまった。何れにしても昨年の『転職生』に比べると物足りず、優秀賞に推さなかった。様々なピースが集約していく描き方は魅力だ。この茫洋とした世界をもうちょっと広げられたら前作以上の作品になったのではないか。視野の広さに対して今作の扱う世界が狭い気がしたのだ。それぞれの抱える問題の大小ではなく。今作の受賞をきっかけに、本橋氏には新たなる地での活躍を期待したい。

『ハイライト』は設定がぼやけていた。主人公の交通誘導ロボット安全太郎への愛の根拠を始めとして、どの登場人物も輪郭が見えなかった。手近の空間、手近の俳優、手近の表現の中に収まってしまっていないか。奇抜な発想を劇化する力があると思うので、現実的制約を飛び出すような劇作を期待してしまう。

『さよなら、サンカク』。構成は明瞭で、人物もそれぞれ役割を全うしていた。少女を誘拐し5年間監禁・強姦していた男の部屋の鍵はかけられず、ずうっと開いており、加害者の家族もそこに生活していた。その加害者家族の覚醒により、どうにか逃げ出し帰宅するも、家では母親がすでに娘の帰りを諦めていたのか、同級生の父親と不倫まがいの関係に陥っていたゆえ、ああ帰ってこなければ良かったと思う被害者。読み終えて、不快感がの方が勝るのは、寓意性の欠如、あるいは取材、またはその取材内容の活用が不足しているからではないか。主人公を二分割する以上のアイデアの飛躍が欲しかった。

『害悪』は設定されている戦争の仕組みに入っていけなかった。審査会でも話題になったが、数少ない登場人物が、国策の根幹を左右するような立場にあり、SF劇にしても流石に無理があった。上演は見てみたいと思った。

『あいがけ』はマレーシア人の若い女性アニが、本国の水害で父親を失っているという境遇が最後の最後に明かされるという構成に戯曲としての弱さを感じた。そうした境遇が明らかになってからの対話を読みたかった。

『須磨浦旅行譚』は友達の死を、あるいは忘れるということを、主人公のわたしが友人と知らないおじさんの松田さんと共にやたらと蛇行しながらゆっくりと消化していく。会話ってこんなものなのだよなというところはいい。ただあまり印象に残らなかった。なんとなくこういう筆致に行き着いたのか、それとも確信的なのか。次の作品が気にかかる。

『私 ミープ・ヒースの話』。伝記の域を越えていないという批評は充分に頷けるけれど、歴史的事実から現代を映し出そうという熱意は感じられ好感を持った。確かに正義を貫き通したミープ・ヒースを額面通り称えているという印象は残る。だが作者は時勢に流され反ユダヤ主義に加担したテオとラウラのような市民を頭ごなしに批難することは出来ないという視点に重きを置こうと試みている。終戦後リンチを受けて寝たきりとなり病室に横たわるラウラに、終戦して二十年経ってミープが再会する場面。ラウラは「私は正しかった」と伝える。作者はここを描きたかったのではないか。九十九歳となったミープに回想させるという構成も、戦中戦後現在までも見つめる鳥瞰となり得た。冗長なミープの語りを大幅に切り詰める必要はある。正義とは何か、そして人間の弱さ・愚かさに肉薄し、引き続きこの戯曲を会話劇としてブラッシュアップさせて欲しい。

前田 司郎

今回は大賞が出なかった。全ての作品に対する意見交換を終えた時点で誰もが「大賞はないな」と思っていたことが判明し、長塚さんから「優秀賞すら出さない方がいいのでは」という提言があった。
その理由に関して僕が代弁するのもおかしいので書かないが、北海道戯曲賞全体のことを考えての筋の通った提言であり、僕もその方がいいかもしれないと一旦は思った。しかし「Share シェア」「さなぎ」「須磨浦旅行譚」の三作は、僕の中での審査基準に則って、充分に優秀賞に値すると思ったので、優秀賞を出すか否か決を採ったとき、優秀賞を出すことに手を挙げ、結果過半の賛同をもって優秀賞を出すことになった。
なぜ議論が、優秀賞を出す出さないの話にまでなったのか、舌足らずながら、ざっくり説明させてもらうと以下のような理由だと僕は解釈している。
大賞受賞歴のある作家が二人も最終候補に残る戯曲賞は珍しく、とても面白いが、審査員としては非常に難しい。今年度の候補作8本を縦断的に評価する軸と、過去の受賞作と今回の候補作を横断的に見る軸が、同時に、しかも少し絡まったような状態で存在することになるからだ。
たとえば「さなぎ」を審査するとき、どうしても同じ本橋くんの過去の作品「転職生」「動くもの」と比べてしまう。できるだけ前後を切り離し、今作だけで見ようとするが、バイアスはかかってしまう。
この点に関しては、大賞受賞者は応募できないように規約を変えてもいいのではないかという提言をしておいた。「やめた方がいい」と強めに言えないのは、審査員である僕の範疇を超えているからであって、決断は財団の皆さんがされると思う。どちらにしても僕はその決断を支持する。
それは北海道戯曲賞をどういった戯曲賞にするべきなのか、そしてそれを考えるべきは誰なのか。という問題でもあり、審査委員の間でも毎回議論が起こる。
優秀賞を出すべきか否かも、そういう文脈で議題にあがった。北海道戯曲賞がどのような戯曲賞になっていくかに関しては、回数を積み上げていくしかないと思っている。
ただ、北海道戯曲賞は作品を、それを作り上げた才能を、審査員の矜持にかけて評価していく賞になって欲しいと個人的には思っているので、僕はひとまずその方針で今年も審査することとした。
例によって言い訳しておくが、僕は作家で、評論家ではないので、時代を映しているどうのとか、作劇の歴史的文脈に照らしてどうのとか、そういうのには興味もないし、全く判らないので、「才能があるか」「技術が高いか」の二つの軸で勝手に評価している。その二つは不可分であり、互いに補い合う関係であり、かつ、足を引っ張りあう関係でもある。最終的にはその二つの軸の関わり合いがもたらした結果に照らして判断することにしている。そこには僕個人の趣味も反映していて、巧みなものよりも、稚拙だが才能を感じるものの方をより評価している。稚拙さにこそ作者の本質が見えるような気もするから。
以下、候補作について、思ったことをつらつら書いていく。僕の個人的な基準に照らして、評価の高い順に書く。が、読まなくても大丈夫です。他人の言うこと聞いて面白い芝居を書けるようになるなら、みんななってるもんね。結局は内なる自分の意見に正しく耳を傾けられる人だけが、成長できると、僕自身信じているので、他人の意見は話半分にきいて、自分が本当に作りたいものを作ってください。

『さなぎ』面白かった。言葉にならないことを無理に言葉にせず、そのまま書こうとしているようで好きだった。
審査するにあたって、余計な偏りを防ぐため、作者のプロフィールを見ずに作品を読むようにしているが、全ての評価をし終えて、作者が本橋君と知り、イラっとした。ト書きに「仮泊を云々」とあるが、仮泊ってなんだよ。科白を「かはく」と読んでいて、字面を忘れてパソコンで打ったら最初に仮泊が出てきたに違いない。誰か教えてやれよ。
本橋くんへ。もう才能があるか世に問う時期は終わった。才能をもった者として次にどうするかを考える時期なのかも。 僕も20代の頃は自分に才能があるのか試したく、何より自分自身に、自分の才能を認めてもらうために書いた。その時は必死でやるだけだから、ある意味楽だった。自分に才能があると認めてからは「才能があるんだからこれくらい書けて当たり前。で? どうすんの?」という悩みがずっとある。今もある。前ほど楽しくない。本橋君もそろそろそういう時期にはいるんじゃないか。がんばれ。

『須磨浦旅行譚』戯曲より、上演の方が面白くなりそう。何か起こりそうで起こらないストレスがある。もっと言いたいことを漂わせる感じがよかった。大事なことを結構しゃべっちゃってる。例えば松田さんがカナコでもあることとか。
でも結構好き。
才能を感じた。僕は優秀賞として推したが、強く推せなかった。「これは上演すれば本当に面白い戯曲なんだ」と断言できなかったのは演出家としての僕の能力に問題があるのかもしれない。
作家として思ったのは、三人の旅の楽しさを、その雰囲気を、客席まで包み込むほど侵食させる装置が何か必要だったのではと思った。積極的に中に入ってきてくれる観客が見たら、まるで一緒に旅をしたような幸せな体験になるだろうが、その気のない客や、その方法がわからない客には、どうやって見ていいか判らないのでは、と思った。
そこを役者や演出に任せるのも一つの方法だし、全然それで良いと思うが、作家の野心としては戯曲の時点でそれを感じさせたい。

『Share シェア』本作に関しては全員が優秀であると認めた。僕も、とてもよくできていると思った。吉本新喜劇の構造そっくりだと感じたが半関西人の土田さんによってそれは否定されたけど。最後まで楽しく読んだ。
しかし、誰もが認める良い作品であるところが、本作の弱点であると思う。普通に面白い。嫌なところもない。ただすべての感情が理屈で割り切れている気がする。説明されて納得できてしまう。大賞に推すことはしなかった。稚拙さ、いびつさ、偏り、そういった部分に作家の生の部分がでるのじゃないだろうか。それが見たかった。作者自身もコントロールできない何かが、戯曲には必要じゃないだろうか。

『さよなら、サンカク』良く書けていて面白いけど好きじゃない。具体的過ぎて小さくなっちゃってるような。突っ込みどころも多い。
悲劇に酔ったような雰囲気をそこはかとなく感じ、それが嫌なのかも。
作家には想像力が必要だ。それは専ら、自らの想像力の限界を想像するために用いるべきだと思う。
登場人物の身に起きた悲劇を、どこまで想像できていたのだろうか。疑問が残った。

『あいがけ』ひねくれた中年男、ケンケンした中年女、純真なイスラム教徒の女性。最初に作ったキャラクター設定で人物が出来上がってしまったかのような印象。登場人物が作者の掌の上から出ていない。戯曲の中で作者にもつかみきれない人物を、演出家と俳優が稽古場で探していくのが良いように思う。戯曲の中で、作者に完全に理解されているようでは足りないと思う。
とはいえ、嫌みなく、優しく、好感を持った。あいがけの言葉の意味がわからなかった。お互い、相手に、父をみたり、娘をみたりしたことかな。だとしたらあまり良いタイトルの選択ではないと思う。舞台用語としての「あいがけ」だとするなら、一般の観客に対して閉じられた印象を与える。一般の用語としての「あいがけ」は丼などに複数の具をかけることらしい。辞書で調べました。

『ハイライト』初対面の人としゃべりすぎ。バカを理由に作者の都合を通してはダメ。状況に関する最初のワンアイディアでやっている印象。人物の関係や、人そのものが書けていないと思う。そんなこと文字に書くことじゃないけど、匂ってこない。
何か気負いのようなものが、枷になって、飛躍が出来ていなかったように思う。
前作と比較するのはアンフェアだと思うので、選考の場では控えたが、ここに書かせてもらうと、前作「バージン・ブルース」での飛躍は、時々作者もついていけていないような危なっかしさとスリルを感じ、読み手としてはどこに連れていかれるかわからない興奮があったが、今作にはそれを感じなかった。理屈の範疇での飛躍にとどまっていた印象がある。頭で書きすぎたんじゃないだろうか。
気負うとどうしても、沢山考えて、頑張って書いてしまうが、頑張れば頑張るほど、よくない結果を生むような嫌な仕組みが作劇にはあると思う。
自分の才能を信じてもっと野放図に書いて欲しいと個人的には思う。

『私 ミープ・ヒースの物語』史実に基づき実際の人物を登場させているからだろうが、人物の表層しかみえない。まるで小学校のころ図書室で読んだ伝記漫画の人物像しか見えてこない。戯曲にする意味は、その内奥を描くことでは? ミープよりもテオやラウラの物語が見たかった。
この作品を世に出すことに社会的な意義があるという意見もあった。私見だが、ナチと戦った英雄をたたえる時期は終わったように思う。もう終わりにしないといけないと思う。ナチズムを敵とし、理解し得ないよそ者、話の通じない怪物のように扱って、自分たちから距離を置くべきではないと思う。市井の善良な人々がなぜ危険な思想に染まってしまったのか、自分たちの中にもその芽があることを認め、どう克服するかを考えるべき時期に来てるのではないだろうか。本作では、そこに踏み込めそうなチャンスもあったが、逸してしまっていたように思った。

『害悪』大枠の設定に現実味を感じられない。「そんなことないだろ、でもあるかも知れない」と思わせてほしかった。作者の都合で作られた設定のように思えた。
大きな世界の問題を書かなくてもいい。身の丈にあったものでいい。と、僕は思う。社会の問題を扱ったことで評価されたりもするが、本当にそんな評価が欲しいのか? もしそれが欲しいなら芝居が一番の方法だろうか? その点でニュースやドキュメンタリーの手法にまさっているのか?
自分が見たいもの、作りたいものはなんのなのか考えて、自分が無理せず書ける範囲で書いていくのが良いと思う。
もっと身近で手の届く範囲のものを書いたら面白い作品を書ける才能がある作者だという予感があったので余計なアドバイスをしました。

受賞作品
令和元年 北海道戯曲賞 優秀賞 『さなぎ』(PDF形式:373KB)   PDF
令和元年 北海道戯曲賞 優秀賞 『Share シェア』(PDF形式:507KB)   PDF
第5回 2018年度(平成30年度)
データ
募集期間平成30年7月17日~9月21日
応募数120作品(新規78作品)
男女別
男性女性
76名44名
年齢別
10代20代30代40代50代60代70代
2名34名29名29名17名7名2名
都道府県別
東京都神奈川県北海道大阪府埼玉県千葉県京都府兵庫県福岡県愛知県
49名13名12名9名6名4名4名4名4名3名
静岡県岐阜県岩手県新潟県茨城県県富山県和歌山県高知県香川県熊本県
2名2名1名1名1名1名1名1名1名1名
受賞作品等一覧
大賞 『バージン・ブルース』 大池 容子
優秀賞 『酒乱お雪』 伸 由樹生
『転職生』 本橋 龍
最終選考作品 『酒乱お雪』 伸 由樹生 (神奈川県)
『小説家の檻』 斜田 章大 (愛知県)
『新在り処』 相馬 杜宇 (神奈川県)
『チキン南蛮の日々』 國吉 咲貴 (埼玉県)
『転職生』 本橋 龍 (東京都)
『バージン・ブルース』 大池 容子 (東京都)
『はるまつあきふゆ』 松岡 伸哉 (福岡県)
『ほたる-ふたりの女優のために』 キタモトマサヤ (大阪府)
審査員一覧
桑原 裕子(劇作家・演出家・俳優/KAKUTA 主宰)
斎藤 歩(札幌座チーフディレクター)
土田 英生(MONO代表)
長塚 圭史(作家・演出家・俳優/阿佐ヶ谷スパイダース主宰)
前田 司郎(劇団五反田団主宰)
選評
桑原 裕子

この度初めて北海道戯曲賞の審査に参加しました。戯曲を読む力というものが自分にあるのだろうか、審査する側に立って良いのかと恐縮しつつも、それはいつでも、どの審査員の皆さんも等しく抱える葛藤であろうと思い、開き直って臨みました。
独自の着眼に富んだ内容や、オーソドックスながらも丁寧に書き込まれているもの、中には超力作で読むのに苦労する作品もありましたが、それぞれに面白く読みました。
大賞が決まらない年もあると聞いていた北海道戯曲賞、毎年これほど高い水準の作品が揃うのかと驚いたのですが、今年は例年以上に充実したラインナップだったそうです。ゆえに審議会では審査員が各々違う作品を推すところから始まり、豊かに意見が交わされる有意義な時間を過ごすことができました。

『酒乱お雪』
とにかくすさまじい筆力と分量! A4紙面にぎっしりと書き込まれた望郷のたぎり、には辟易しつつも圧倒され、感心しながらうんざりもし、長引く高熱にうなされるような感覚で読破するのになかなかの体力を要しました。でも、作者の年齢でこれほど知識や情報を持って描けること、またその情熱に胸を打たれてしまいました。そして、俳優ならば思わず口に出してみたくなる不思議で魅力的な台詞や、いくつかの迫力あるシーンにときめきました。それでも土地や星や鉄道の解説がしつこすぎやしまいかと思いますし、机上では成立しているけれど、実際に上演するにあたって俳優の体を通したときにどうか、という想像はどこか別の場所においてきている気もします。
勇気を持って刈り込み、もう少し整理した上で一度上演してみるとまた見えてくるものがあるのではと思う一方、整理なんてくそ食らえとこの勢いで書き続けてほしい気もします。とにかく、この熱をぶつけた新作を描いて、ぜひまた読ませてほしいです。

『小説家の檻』
うっかり最初に「小説家の鑑」と読み、長らく勘違いしながら拝読していたのですが、後で思えばどちらも皮肉に成立するような、檻に囲われた小説家の鑑の物語。「究極の本を一冊作れば誰も他の本を読まなくなる」というような裏地の主張に「え?そうかな」と冒頭からノレなかった感はあるものの、展開するリズムの心地よさ、次へ次へと興味を引くストーリーテリングに力があり、飽きずに読み進みました。それにしても人が都合よく死にすぎなのと、登場人物が類型的で薄っぺらく感じてしまった点は、「AIが描いたから」というオチで納得すべきなのでしょうか。
どこかにAIが到達し得ない人間の生身を、ずっと探して読んでしまいました。

『新在り処』は、片麻痺の空き巣泥棒という設定にまず惹かれ、どうその体が物語に影響してくるのかを気にして読んでいましたが、そこが生きていたかというと、さほど重要な要素に思えなかったという印象です。
騙されたふりをして他人を息子として迎え入れる老婆と、いつしかその態にのっかり心を許していく男のやりとり、特にラストシーンは胸をつかまれる切なさがありました。ただ、化かし合いが行き過ぎているのか、お互いの嘘をあまりにも違和感なく請け負ってしまうので、「嘘の中にある真の気持ち」を探すお話なのに、本来の設定がぼやけてしまい、余計に迷子にさせられてしまった気がします。

『チキン南蛮の日々』
チキン南蛮の霊が摂食障害の少女を救うというのは、かなり奇をてらった設定に見えて、実は人よりも動物よりも、自分の体から吐き戻された食物の方がまだ自分をわかってくれるかも・・・というのが、作者のものすごい絶望から来ている発想だなと思い、その哀しみと恐怖に震えながら読みました。ところがそんな奇妙な設定ならではの可笑しさが随所にあふれているので何度もぷっと吹き出し、最後はチキン南蛮が降霊テクでばかばかしくも切ない東野圭吾『秘密』ばりの感動を呼び起こして、(ちょうど読んでいる頃チキン南蛮が名物の宮崎県にいたのもあって)おいしいチキン南蛮を食べて成仏させたくなる、愛しい読後感がありました。
私は候補作の中でこれがいちばん「好き」な作品でしたが、本だけで充分楽しめ、小説にしても良さそうで、脳内で広がる景色の方がもしかすれば舞台に乗ったときより面白いのではと感じてしまったところで、戯曲賞のいちばんとして強く推すことにためらってしまいました。でも、とても面白かった。

『ほたる ふたりの女優のために』
取り残されてしまった女二人の、関西弁ならではのどこか諦めた明るさが漂うやりとりには、ひたひたと川の水が満ちてゆくような寂しさがあり、染みるものがありました。
変わらぬ風景の中で二人の距離だけが徐々に近づいていく様子も心地よく、また美しく見てとれたのですが、「私大嘘つきや」と先の展開を匂わせる台詞があることで、その先に大きなどんでんがえしなぞを期待して読んでしまっただけに、結末はやや物足りなさがありました。ささやかな思いの揺れは魅力的に描かれているので、むしろそのような「匂わせ」を置かずとも、充分に惹きつけられたように思います。

『はるまつあきふゆ』
ありふれた設定ながら細やかな心の行き違いが会話で描かれており、また時代の交差も練られて描かれていて、好感を持って読みました。ただどうしても引っかかったのが、子供時代に両親を亡くしたことがなぜ20代の今、怠惰に生きる理由になっているのかという点で、母の日記を見つけるまでに長い時が経っているのに、その部分が空白に見えてしまったことでした。日記を見つけ、母を知ることで自分自身を見つけるという物語を置くために、作者が登場人物たちの人生に流れる「時間」を都合よく抜き取ってしまった気がします。その抜けた部分にこそ豊かな時の流れを感じられたら、この作品はもっと光を放つのではないでしょうか。

『転職生』
名前の覚えづらさと、最初のキャスト紹介に性別表記がなかったこと、男女の描き分けが後半になるまでわかりづらいこと(それ自体は別に良いと思うのですが)から、誰が誰なのかを判別するまでにだいぶ時間がかかってしまい、何度も行ったり来たりして読む作業が少々つらかったのです。ただそれは、舞台で見ればすぐにわかることかと後で思い至りました。
退屈に見える彼らのルーティンワークと、ベルトコンベアを流れるように三カ所の空間を行き来する人々の流れを重ねながら、個々の関係性が見えてくると徐々に面白くなりました。はじめは淡々とした無個性に思えるやりとりも実は細かく描き分けされており、低体温で進んできた時間が「新しき風」の存在によってうねりだすのが、いい。
そのうねりに行き着くまで、芝居を見る人が彼/彼女らに対し興味を持続できるかというところで、序盤につかみがほしい気はしますが、戦略を匂わせず狙いを捉えて描ききる、力のある作家だと感じました。

『バージン・ブルース』
LGBTをテーマにしたいわゆるモダン・ファミリーのアットホームな話かと思わせておいて、めまぐるしい走馬燈から時をさかのぼる旅が始まり、ジェンダーも激しく入り乱れて思いがけぬ場所へ連れて行かれる時間は、愉しいものでした。登場人物たちの持つ体のビジュアルを想像すると生理的にうろたえてしまう感覚はありますし、その挑発的な台詞のいくつかは物議を醸すかもしれないと思います。ただ、どの性に対してもあえて等しく差別的に描く、という作者の挑戦を感じ、また個々のキャラクターの愛らしさは最後まで失われておらず、彼らに幸あれ、と思いながら人生を追いかけることができました。
彼らが自虐と挑発を込め「化け物」「出来損ない」と自らを呼ぶのもわかるのですが、そこまでその言葉を繰り返し投げかけるのであれば、哲学部出身の彼らなりに、この言葉の行き着く独自の終着地をもうひとつ掘ってほしかった気はします。
読んでも面白いし、この舞台を観てみたいと強く感じたので、今作を大賞に推しました。

北海道戯曲賞で大賞と優秀賞2本が出たのは初めてだとか。それだけ力がある戯曲が集まったということは、今戯曲賞においても、演劇の未来にとっても、同じフィールドに身を置く私自身にとっても刺激的で、幸福なことだと感じます。皆様、おめでとうございます。

斎藤 歩

全体として
 私はこの戯曲賞の審査員を引き受けて5年目になるのだと思います。今回は前年までと比べて、最終審査に残った8作品のレベルが上がっていたように感じました。前回までは「これが大賞になるんだろうなぁ」とか「大賞はないんじゃないかな?」と感じたまま審査会に臨み、ほぼその通りの結果となっていたように記憶しています。
 ところが、今回は事前審査で初めて「A」と記入できる作品に出会え、しかも、他の審査員とは明らかに意見が違うだろうなぁと「今回は初めて意見が割れるのではないか」と予想し、その通りの最終審査会となり、とても楽しかったです。
 好き・嫌いの話にまで至り、最後の決戦投票も票が僅差で割れたのは初めてではなかったでしょうか。特に、「きっと皆は推さないだろうなぁ」と私が予想した『酒乱お雪』を最終審査会に挙げてくれた下読み担当の皆さんには感謝します。

『酒乱お雪』
実に荒っぽく、懐かしい匂いのする戯曲ですが、並々ならぬエネルギーと遊び心、そして貪欲な知的好奇心を感じ、惹かれました。近年、等身大の台詞が多い中、こういう戯曲が欲しいと感じていたまさにストライクゾーンに来た戯曲でした。今、このような戯曲を上演しようとしても長台詞を吐き続ける身体性を現代の俳優が伴えるか疑問ですが、本当に好きな戯曲でした。最初、時系列が無茶苦茶だなぁと感じながら読み始めたのに、すぐに引き込まれました。私は演劇には「ケレン味」が欲しいと思っています。近年そうした新作になかなか出会えることがなく、ケレン味だらけのこの戯曲が素敵でした。「ケレン味」だけでなく、東北出身の小説家・詩人たちの引用も的確で、「長い」という審査員が多かったのですが、私は一気に読み進められました。確かに、構成が下手だったり不要なセリフや場面が満載で、手直しが必要な部分も多いと思うのですが、今回の8作の中では今後の伸びしろが期待できる唯一の作家だと感じ、5年間北海道戯曲賞の審査員を続けさせていただいてますが、初めて「A」という評価をつけて最終審査会に臨みました。審査後に、まだこの作家が若く、経験もほとんどないという話を聞いて、さらに楽しみになった作家でした。こういう作品に大賞を出す戯曲賞が北海道にあってもいいのではないかと、私は思うのですが、私以外の審査員の共感は得られませんでした。それも納得はしています。確かに粗すぎる。でも本当にうれしかったです。それにしてもタイトルはもっと工夫が欲しいです。

『小説家の檻』
ゴーストライターとAIというアイデアによるプロットだけで書かれた戯曲のように感じて、それ以外に面白みを感じることができませんでした。「究極の本を読めばそれ以外に本は不要になる」とか、「本は人を殺せる」という理屈に今一つ共感できず、テレビ局という社会装置を都合よく、しかも安易に配置していたり、出版社の前のバス停で偶然ゴーストライターに出会ったり、「きいろいくも」という本が裏地の父の作品だったとか、都合が良すぎるように感じました。

『新在り処』
この作品、開演してすぐに観客に「男」が空き巣だとわかるだろうか?台詞も設定もあまりいいとは思えませんでした。この男に脳疾患から来た「麻痺」を伴わせる必要があるのだろうか?という疑問も残りました。作家が「麻痺」を伴って生きることの困難さを表したかったのでしょうか。ちょっとよくわかりませんでした。すいません。

『チキン南蛮の日々』
この作品を推す審査員が複数名いましたが、私は魅かれませんでした。「チキン南蛮の地縛霊」という突飛なアイデアや、ピースケというインコが関西弁を覚えて帰ってくるという設定など、面白い部分もあるのですが、短編のプロットとしては成立しそうな気もしますが、本編戯曲としては物足りず、最後まで審査に残ったのですが、私は他の作品の方に票を投じました。

『転職生』
まず、人物名が覚えづらく読むのに苦心し、三か所に誰がいて誰がいないのかという表まで作って読み、「あ、この人は女性だったのか!」と気づいては読み直したりしました。社員・アルバイト、被雇用者としてしか生きられない現代の若者の閉塞感を描いているのか、東京のような都市で演劇を志す者たちの生態をそこに持ち出して、おそらく作家の実体験がもとになっているように読めるのですが、私には作家の視座とは異なる他者の視座も必要ではないか?と感じてしまうのです。確かに上手く構成されていて達者だなぁとは思い、最後の最後まで強く推す審査員も居ましたが、私は手を挙げませんでした。もっと変なものをこの作家には期待してしまいます。

『バージン・ブルース』
力のある作家だと感じました。面白く読めました。達者で才気もあり、実に面白いのですが、何か引っかかっていました。何が不満なのか判然としないまま、この作品にだけ「B」という判定をつけて審査会に臨みました。審査員との議論の中で、判然としないものが少し見えた気にもなり、やはり、台詞や場面展開の巧みさなどは他の7作品と比べると圧倒的であったため、最終的に大賞となったことにも納得がいっていますが、もう好き嫌いの問題なのかもしれません。オッパイとかおちんちんとか、人と異なった個性に対するコンプレックスが性の部分にのみ突出していたことが気に食わないのかもしれません。

『はるまつあきふゆ』
かなり早い段階で「波留」が「夏生」の実母で、「冬美」が叔母であるとわかったのですが、それが露になる過程が実にじれったく感じて、複雑に入り組ませる必要があったのだろうか?と感じました。それが例えシンプルになったとしても、あまり面白みを感じませんでした。

『ほたる ふたりの女優のために』
二人の女優のために、というタイトルにある通り、二人の女優を魅力的に見せようとしたのかわかりませんが、予定調和だらけに感じました。善人ふたりが慰めあう構図で、驚きがないんです。ほのぼのとしたムードの中にあっても、人間の具体的な毒とか嘘とか、ある年齢になった女性にはあるのではないかと思うのですが。

土田 英生

大池容子さんの『バージン・ブルース』が大賞になった。おめでとうございます。読み始めてすぐに言葉選びのセンスを感じ何度も笑った。ラスト、回収の仕方にやや不満は感じたけれどそれもそこまで大きな問題ではない。私が審査会の時に最後までこだわったのが「性器が伸びていく」「きれいなおっぱいを持っている」など、この作品の中で描かれている「出来損ない」たちが、性にまつわるものに偏ってしまっている気がして、そうした設定が突き抜けたフィクションとして成立するところまでいっていないのではないかということだった。他の審査員メンバーからの説得で納得はしたものの、読み返してみるとそこに関してはやはり引っ掛かりは感じる。

昨年の受賞者である本橋龍さんの『転職生』は、また去年の『動く物』とは全く趣の違った群像劇だった。さらに本人の体験などもあるのか、ディディールや台詞にしっかりと体重が乗っていて迫力があった。群像を描きながらも物語に軸は用意されていて、イナサとアサゴチの恋愛もよかったし、特にイナサの「ヨアラシくん殴っていいよ」という台詞には不覚にも泣かされた。

伸由樹生さんの『酒乱お雪』については、審査会が最も盛り上がった時間だった。まだ全体の構成も荒く、無駄な台詞や説明も多い。これをそのまま上演するのはかなりハードルは高いだろう。しかし、とにかく作者が書いている時の勢いや想いが全編に溢れていた。東北という地域をあえて一つの概念にまで昇華させ、その《東北》が背負わされてきたもの、担ってきたものを、かつては東北からの玄関口であった上野の変遷まで含めて描いている。これからもっと書いていってもらいたいと思った。

そして、私が最も推したのは國吉咲貴さんの『チキン南蛮の日々』だった。まず、《笑い》としてとにかく面白かった。ピースケという荒唐無稽な設定を据えつつも、加奈子という人物がとてもよく分かるという気がした。その加奈子がハマる佐山くんのクズぶりも、ピースケの奔放ぶりも配置としていいし、何より無償の愛を注ぐチキン南蛮と、一見ハッピーエンドに見えて解決していない辛さも含めて私はとてもいいと思った。

斜田章大さんの『小説家の檻』は設定はとてもいいし丁寧に描かれていると思うのだけど、そもそもの人物設定や物語が、やや説得力に欠けている。物語を読むと吐いてしまう裏地のモチベーションに納得ができず、究極の本をつくればその本以外誰も読まなくなるという論理もそのまま受け入れられなかった。もっと登場人物の背景をしっかり作り込むといいのではないかと思う。

松岡伸哉さんの『はるまつあきふゆ』は読みやすい作品ではあった。台詞も自然で、描写も上手だと思うし、時間軸の違う家族が重なり合うように展開するのもいい。ただ、見つけた日記で本当の母に出会うというには、そこに事情がなさすぎた。

相馬杜宇さんの『新在り処』はややもどかしさの残る作品だった。空き巣である男が認知症である老婆に息子と間違えられるという落語のような設定はいいと思うけど、ドラマポイントが明確ではない。老婆との関係を通しての男の変化や、老婆が最後まで男を本当に息子だと思っていたのか、もしくは勘違いだとわかりつつも泊まって欲しかったのか、物語の軸となるポイントが見えないのがもったいなかった。男が息子の振りをする前半の笑えるはずのシーンも、もう一工夫あってもいい。

キタモトマサヤさんの『ほたるーふたりの女優のために』は、これから何が始まるのかと期待させるオープニングもいいし、二人の中年女性が抱える寂しさは心に沁みる。ただ、二人の関係の変化をもっと見たかった。最初からある程度の和解が感じられてしまっていたり、(シーン2)の最後でアズミが「・・・そうや、ワタシ大ウソつきや」(実際の台本では「大ウシつき」となっていて、ワザとだとしたら私には意味が理解できていないけど)という台詞で、期待してしまったほどの事情が後で出てこないことなどがもったいなかった。

長塚 圭史

私なぞが戯曲を審査するなどということは大変烏滸がましいようにも思いましたが、二十年以上演劇に携わってきた者として、純粋に演劇として奥行きを持って立ち上げる喜びを頼りに審査しました。当然好き嫌いもあったのですが、何れにしても全体的に驚くほど面白く読むことが出来ました。大賞作品一本と優秀作品が二本。該当者なしという年も多かったこの戯曲賞では異例のことだと聞きました。明るいですね。以下選評は敬体をやめまして、常体で書きます。敬体には自然と気遣いのようなものが生じてくるきらいがありますでしょう。

私は大賞に本橋龍さんの『転職生』を推した。正規社員とアルバイトの立場、演劇というものへの偏見など、作者の実体験に依る視点から、少しずつ視野を広げ、よほど関心を抱かなければおよそ実態のないような社内の人々の営みに、淡い輪郭を浮かび上がらせた。異なる価値観を携えた転職生・新しい風の登場で、指令を失った蟻の隊列が少しずつ乱れてゆくように、それぞれ淡い輪郭の中に、本音を垣間見せた。構成も口語体のダイアローグもバランス良く、視点も極めて一貫しており、応募作の中で最も切れ味が良いという印象を受けた。

『酒乱お雪』に込められた異様な気迫は、審査会でも一番の話題となった。明らかに書きすぎてしまってはいるものの、読後の爽やかさは、「親潮上空を吹きすさぶやませが、オリオ、お前の心にも吹いているのかい?」という懐かしくもキレの良い台詞を怒涛のように浴びた後だからだろうか。丁寧に削ぎ落とせば飛躍的に伸び上がるポテンシャルを感じた。まるでコラージュかと思わせるほどに、昭和を忍ばせるノスタルジックなポエジーが溢れた。作者の伸由樹生さんは十九歳で、これが初戯曲だとか。平成という時代を丸々飛び越えてやってきたようであった。次の作品を読んでみたい。

斜田章大さんの『小説家の檻』は作者の脳内にあるプロットの域を出なかった。後半畳み掛けるように死んでゆく登場人物たちに、信じられる動機を感じ取れなかった。裏地という人物の登場はあまりにも都合が良いが、憎悪が多量の嘔吐となる点について、実に気持ち悪いのだが、私は好感を持った。

國吉咲貴さんの『チキン南蛮の日々』。私はかなり愉快に読んだ。特にインコのピースケの造形は、インコを実際に飼っていたこともある私としては見事だと。インコは想像以上に人間に懐き、思わぬ言葉を記憶・再生し、しかしもちろん鳥類ゆえその心の中はどこまでも真っ暗な闇なのだ。ただチキン南蛮はまだしもインコも俳優が演じることを考えると、どうしても戯曲で読む以上の面白味を脱せそうもなく、推しきらなかった。

キタモトマサヤさんの『ほたる ふたりの女優のために』。関西弁のポテンシャルを感じた。漫才のような丁々発止のやりとりの中に、裏腹な感情、また疑心暗鬼を孕むことが出来るのではないか。ただどちらの登場人物も動機が茫洋としていた。ゆえに掛け合いもいま一つ盛り上がらない。動機をしっかりと掴んでおけば、そしていつ何があったのかをもっともっと鮮明にしておけば、その場面を直接描かなくとも、もっとスリリングになったのではないか。また「ふたりの女優のために」という副題が適当であったのか疑問が残る。

『新在り処』は、いまひとつ何故こうした事態が生じてしまっているのかスッキリしないまま読んだ。作者は如何なる意図を持ってこのシチュエーションを作り出したのか。息子でないものを息子と思い込むコメディとして紡がれたのだとしたらかなり仕掛けが甘いのである。聞けばこの作品は作者の相馬杜宇さんが実際に障害を抱えてしまったことで、元々発表していた作品を改めて書き直したのだそうだ。そう聞くとまた読み手の心持ちも揺らいでくるが、それでもたった三人しか登場しない登場人物に、もっと魅力を与えられなかったのか。

松岡伸哉さんの『はるまつあきふゆ』。やはりプロットの域を出られなかったのではないか。ひとつの場所で時間を混在させる手法は新しくはない。せめて家族や家庭が孕む折々の時間の濃密な匂いを、いつも漂わせてほしかった。ダイアローグも人物の複雑な関係を表しきれてなかった。時間が共有される居間のイメージが、ト書き上も台詞に於いても、いまひとつぼやけたままであったことも気にかかった。

大賞となった大池容子さんの『バージン・ブルース』を私は大賞には推さなかった。満遍なく饒舌になり過ぎてはいないか。ただこの作品は当て書きだったそうで、だとすれば、私が粗っぽく感じた台詞は、案外小気味良く乗り越えられたのかもしれない。思い切りのいい大胆な展開と設定は大きな魅力だった。またマイノリティーへの荒唐無稽ながらも明るい光の当て方に好感が持てた。それでもダイアローグにもう少し魅力を感じられたらという最初の思いは変わらなかった。

前田 司郎

私見だが、というか、これから記す全ては私見に過ぎないが、今回は、大賞に申し分ない才能を感じる作品が複数あった。大賞に値する実力を感じた作品のどれを大賞に推すかという、審査員の、作家としての趣味が垣間見えるような議論ができたと思う。嬉しかった。
僕は『酒乱お雪』『転職生』『バージン・ブルース』の三作品にそれを感じ、『バージン・ブルース』を一番に推した。
候補作8作品に細かく触れていく前に、前提を述べておきたい。毎度のことであれだが、言っておかないと気がすまないので申し訳ない。
これから他人の作品を偉そうに評価するが、僕自身は自分の作品に対する他人の評価にあまり耳を貸さないようにしている。我がことのように真剣に評価しているつもりでも、やっぱり我がことではない。自分を評価できるのは自分だけであり、そのことに一番時間や労力を割けるのも自分だろう。そして、その評価が左右する人生は自分のものだ。なので、僕の評価など話半分で聞いてもらいたい。自分が面白いと思うならそれで良いと思う。ただ、自分の作品を信じるためには作品をとことん疑う必要があると思う。この選評が疑いぬくための一助にはなれば望外の幸いである。

『酒乱お雪』 僕はこれを二番目に推した。圧倒的な質量、密度に、読む前から気圧されてしまった。「これ読むの嫌だなあ」と思い読み始めたが、読んでみると、ハッとするセリフ、展開に多く出会った。物語りに素晴らしい跳躍も認められ、面白かった。ただ長い。作者本人にも制御し切れていないように見える情熱が、こちらの体力を奪う。語り過ぎる。よく喋る、話の面白い人と飲んでいる感じ。それが二次会三次会と続き、朝になってしまいぐったり疲れて始発で帰る感じ。最初の店で完結できるように、まとめて欲しい。
作者ばかり喋りすぎてはいけないと思う。観客も喋りたいのだ。
それとは別に、オリオとお雪の出会いが雑ではないだろうか。あれならばあえて書く必要もないように感じた。最初から知り合いにしておいても不自然はない。
しかし圧倒的で野放図な才能を感じた。審査会で作者の年齢を知ってびっくりした。洗練されて欲しい気もするし、このまま行って欲しい気もする。書いていけば、放っておいても上手くなるので、小さくまとまらず好き勝手書き続けて欲しい。

『小説家の檻』 アイディアは面白いように思った。AIという話題はトレンドには違いないから、みんなが書くだろう。よっぽど優れたアイディアじゃないと抜きん出られないだろう。で、僕はアイディアの優劣は劇作にとってどうでも良いと思っていて、なのでその点に関しては評価する能力が僕にはない。
出会いが雑だと思った。偶然に頼り過ぎ。偶然出会った人になぜか自分の小説を読ませ、実はその人は、主人公と運命的な繋がりがあるという偶然。
細部が雑に感じた。いろいろ突っ込みどころが多すぎて、シリアスな物語にそぐわない。また、登場人物を簡単に殺しすぎだと思う。結構みんなすぐに自殺するのは、書き手の都合のように思える。
描きたい絵があって、それをただ描くのでは、自分のアイディアは越えられない。プロット通り書いても、自分の想定内で、一人の人間が考えたことなど高が知れているのではないだろうか。プロットを曲げるような力を、登場人物から引き出したい。

『新在り処』 お婆さんに可愛らしさを感じた。嫌な感じがしなかった。
学生というキャラクターの造形が雑だと思った。コメディリリーフとして出てきたのかも知れないが、面白いとは思えなかった。面白がらせようという意図を感じてしまったからだと思う。
お婆ちゃんの造形も綺麗過ぎるように感じた。少女のような老婆という理想の姿が見えて、生々しさを感じなかった。障害の描写は生っぽかったが、別に障害持ってなくても良いなと思った。
何か「泣かせたい」「笑わせたい」という作者の意図が透けて見えように感じ、その意図に登場人物を従えさせているように感じた。
僕は登場人物が作者にケンカを売り、互角の戦いを演じている戯曲が好きだ。作者に従順な登場人物は物語を円滑に進めてくれるが、仕事している感じで、生き生きしていない。

『チキン南蛮の日々』 僕はこの作品をまったく評価できなかったが、桑原さんと土田さんはとても評価していて、長塚さんもある程度評価していた。歩さんも僕と同じで評価していなかった。こんなに意見が割れることははじめてで、面白いことだと思った。
議論を進めるうちに、僕はこの話を「チキン南蛮の霊」の目線で読んでおり、評価している他の皆さんはどうも登場人物の「加奈子」の目線で読んでいることが判った。
僕は加奈子の恋人の「佐山」の造形が、薄っぺらいことが気にかかっており、ある種の男性のステレオタイプのような描かれ方をしていて嫌だった。
チキン南蛮の霊は出来事に対して、第三者的な立場におり(加奈子に肩入れしているので、完全に俯瞰してみているわけではないが)、加奈子よりは客観的にみているはず。なので、この佐山の造形がどうも気になったのだ。
ところが、加奈子の目線で見てみると、加奈子は完全な主観で物語り上にあるから、恋人の佐山との関係において、視野が狭窄していて、その一面しか見れていないのかも知れない。そうなると佐山の描写はこれでも理に叶っているということになる。
なるほどなあ、と思ったが、それでもやっぱり、僕はこの作品を評価できなかった。音の面白さはあったが、浅いように思えてならなかった。
僕は作家はやはり、作品に対してある程度、批評的に距離をとるべきだと思っているからだろう。この辺が審査員の趣味が出たところと言えるのじゃないだろうか。

『転職生』 僕はこの作品も二番目に推した。会話にセンスを感じる。実はこの作品だけは、審査する前に作者が誰か判っていた。たまたま東京で上演されたのを見たからで、作者の本橋くんは去年の北海道戯曲賞の大賞をとっており、そのとき以来交友もあるからだ。
出来るだけバイアスを受けないために、作者の名前やプロフィールを見ないで審査することにしているが、これは例外と言える。
 で、今回の作品も面白いのだが、前回大賞を受賞した『動く物』と比べると、熱量のようなものが劣っているように感じ、一番に推すことはしなかった。本作は、「風の又三郎」(宮沢賢治)のパロディである「転校生」(平田オリザ)のパロディになっている。ここでいうパロディはからかいや滑稽を狙ったものの意ではなく、純粋な引用の意。
 風の又三郎の物語は、ある種の物語の典型となっていて、僕の類別に寄れば「赤毛のアン」や「カッコーの巣の上で」や「今を生きる」などなども、同じパターンだ。つまり、或集団に誰かがやってきて、その集団(多くは古く凝り固まっている)を変え、去っていく(アンは去らないけど)。
もし、意識的に「転校生」を引用したのだとしたら、志が低いんじゃないのと思ってしまった。同じ類型の他の作品を越えるものを作る意気で書くべきではないか。「転職生」というタイトルからも、何か小粒な印象を受けた。多分これは僕の個人的な考え方に由来するものだから、審査においては排除すべきなのだが、どうも引き摺ってしまった。
前作『動く物』の印象が強かったこともあり、どうもそういうバイアスを取り払うことが出来ず、一番には推せなかった。
全く何の予備知識もなく読んでいたら、もう少し悩んでいた可能性はある。
内容にもう少し突っ込んだ話をすると、登場人物の名前が全てフィクショナルなものになっているのはいただけないと思った。どういう効果を狙ったものか判らないが、卑近な出来事の中にもドラマがあり、みんな生きているのだということが、この話の肝だと思って読んだが、奇妙な名前が、観客である自分たちが生きる世界と、劇世界との地続きな感覚を阻害しているように感じ、入りづらかった。どこか他人事に思え、テーマにそぐわないのではないか。これも趣味の問題か。結局審査員の趣味の問題なので、賞に普遍的な価値などない。

『バージン・ブルース』 僕はこの作品を一番に推した。タイトルを見て「やばいの来たな」と思い、男性二人が娘を育てているところから「ああ流行りに載ったのね」と、思ったが、載ってなかった。こちらの想像をどんどん裏切り、その裏切りが心地良く、最後まで面白く読んだ。
ただ面白いだけの戯曲でもなく、「なぜ女性だけが子供を産むのか」「普通とはなんだろう」とか、普遍的で重い問いかけが、上品に、物語の裏の方に隠れているように感じ、とても好感が持てた。作者の主張をずっと聞かされるタイプの作品には辟易とするが、主張は常に裏に回っており、それも断定ではなく問いかけのような形になっている。品性を感じた。
会話が上手いので物語が地に足ついており、観客も一緒に、物語の突拍子もない飛躍についていける。
あえて難をいうのなら、歌に頼っているようなところだろうか。歌がなくても全然なりたつのにもったいないと感じた。僕も歌や音楽に憬れや嫉妬を感じるが、我々のセリフもそれに負けていないと信じるようにしている。
あとやっぱりタイトルはもう少し考えた方が良いんじゃないだろうか。

『はるまつあきふゆ』 プロットの組み立ては上手だなと思った。
ただ、登場人物の悲劇を利用していないか。みんな悲劇に囚われすぎている気がする。内省や時間の経過がもたらす、個人の心情の良い変化が無視されているように感じる。
冒頭で、爪切りと新聞紙の挿話がある程度の時間を割いて語られるが、最後まで聞いてみると登場人物の動機、行動に納得がいかない。なぜそこまで新聞紙にこだわったのか? 得心が行くとすれば、その行動は観客に向いていたという解釈だ。観客を面白がらせようと思っていなければそんな理不尽な行動や言動にはでないように思えた。
露骨に言えば、冒頭で笑いを取って物語に没頭してもらおうという魂胆のようなものが見えた。それが悪いわけではない。そこに登場人物である二人の女性の他に、観客というものが確かに存在していることを暗示してしまうのが問題だ。それは、この芝居には常に、登場人物の他に、観客というものが居ますよというルールの提示に他ならないのではないか。
となると、登場人物たちの身に起きた出来事も、それに起因する悲しみも、観客に向けたもののように、僕には思われてしまう。何のために悲しんでいるのだろうか。登場人物が観客のために存在してはいけないと思う。

『ほたる ふたりの女優のために』 状況は何か、面白くなりそうな雰囲気を感じたが、最初から最後まで二人の距離が変わらないので、読んでいて気持ちが動かなかった。サスペンス的な要素よりも、二人の人間の距離を描くべきではなかったか。
出会いが雑だと思う。偏屈だから、頭がおかしいからという理由では納得がいかないほど、二人の距離が急に近すぎる。距離が徐々に近づいていくその階調を描くためには、最初から近い距離にいさせるのは得策ではないのでは?
二人の掛け合いも最初から成立して、漫才のように軽快だが、当然、漫才ほど面白くはない。我々は漫才師ではないので。
二人の孤独な女が、いかにして軽やかな会話を交わすにいたったか、その道程を追体験させて欲しかった。

受賞作品集
平成30年 北海道戯曲賞 作品集(PDF形式:10,57MB)   PDF
第4回 2017年度(平成29年度)
データ
募集期間平成29年7月5日~9月1日
応募数122作品(新規85作品)
男女別
男性女性
87名35名
年齢別
10代20代30代40代50代60代70代
0名34名45名26名13名4名0名
都道府県別
東京都北海道大阪府福岡県埼玉県京都府千葉県兵庫県長崎県神奈川県熊本県福島県山口県
52名13名9名8名6名5名3名3名3名2名2名2名2名
青森県秋田県宮城県長野県愛知県奈良県和歌山県岡山県高知県大分県宮崎県鹿児島県
1名1名1名1名1名1名1名1名1名1名1名1名
受賞作品等一覧
大賞 『動く物』 本橋 龍
優秀賞 『10分間~タイムリープが止まらない~』 中野 守
最終選考作品 『動く物』 本橋 龍 (東京都)
『鱗の宿』 島田 佳代 (鹿児島県)
『サウンズ・オブ・サイレンシーズ』 弦巻 啓太 (北海道)
『些細なうた』 田坂 哲郎 (福岡県)
『10分間~タイムリープが止まらない~』 中野 守  
『鶴吉印章堂~畑山さんの印』 田邊 克彦 青森県
『中ノ嶋ライト』 滝本 祥生 (東京都)
『西のメリーゴーランド』 川口 大樹 (福岡県)
『南の国から』 大迫 旭洋 (宮崎県)
『メゾン・ド・ユー』 荒木 建策 (東京都)
『Replace Grace』 木村 恵美子 (埼玉県)
審査員一覧
長田 育恵(演劇ユニットてがみ座主宰)
斎藤 歩(札幌座チーフディレクター)
土田 英生(MONO代表)
畑澤 聖悟(劇団渡辺源四郎商店主宰)
前田 司郎(劇団五反田団主宰)
選評
長田 育恵

本年も審査会のため審査員たちが北海道に集った。早朝から天候による欠航や遅延が相次ぎ、全員が集えたのは20時頃だったと思う。同じメンバーで集う4回目の審査会。今年は全員がある予感を秘めて集っていた。果たしてそれは現実となり、本年は大賞作が決定。大賞が出たのは第1回以来だ。劇中から匂い立つ皮膚感覚や五感のようなものを同じ作家として羨ましく思う、そうした作品と出会えて幸せだった。

『10分間~タイムリープが止まらない~』
細かく考えられたプロット、随所に配置されたアイディア、飽きさせないストーリーテリング。その完成度に賞賛の思いが湧くが、ストーリーを抜けた先に待つあっけなさに惜しいと感じた。ストーリーが強力な分、その力を借りて人物の息吹にもっと触れたい。遠くに辿り着きたい。読んでいて欲深くなってしまった。
『鱗の宿』
読後に思い出せる景色がある。世界観が立ち上がっていた。けれど中心にいる人間の内側に「今、触れられた」と感じる箇所が弱く物足らなかった。閉塞感のある島を舞台に人魚をモチーフに使っているが、島から想起される日本の土着的な八百比丘尼像と西洋の人魚姫像とイメージがばらけ薄れてしまったように思う。前の応募作が魅力的だっただけに、もっと降り立つことの出来る作者だと感じる。
『鶴吉印章堂~畑山さんの印~』
ハンコを象徴に、人生の岐路を切り取ろうとした着眼に心惹かれた。会話もうまく、手堅く纏められてる。けれど登場人物たちに作者の都合が見えていて、人物間に流れるものにもっと繊細さや豊かさがほしかった。
『サウンズ・オブ・サイレンシーズ』
構造は面白かったが人物造形が典型的で興味を持てなかった。ここから作者のオリジナリティを発揮して欲しいという肝心の地点からが描写されず、踏み込まれない。アウトラインを受け取るところで終わってしまった。
『動く物』
最も奇妙で、喉の内側から痛がゆく触られているような、飲み込みがたい読後感。二人の生活が空気が流れ続けるまま描写される中で、菓子の缶に捨てられた無数の精子、堕ろした子供、根底に潜む喪失感がじわりと迫る。その奥に生物としての人間を含めた生態系の気配がうっそりと立ち上がってくるのには、ぞくぞくした。ただ、これは私の我が儘かもしれないけど、『星の王子さま』を材料に使用されたのが勿体ないと感じた。せっかくオリジナリティある世界観に満ちる五感が、手垢のついたコンテンツに手繰り寄せられることで、急速に鈍るような。私にはこの素材が逆に作品を繋ぎ止める軛(くびき)に感じられてしまった。
『中ノ嶋ライト』
舞台設定の着眼もストーリーもとても興味深く、大きな期待感を持って読み始めた。が、その設えに強度がある分、かえって登場人物の弱さが目立った。関係性は提示されているのだが、人物の内面をあぶり出すストロークが足りていない感触。もっと人物描写を見たいと思った。
『南の国から』
戯曲から感じられるおおらかさ、柔らかな詩心が好きだった。この作品は神話の世界と現実をリンクさせる試みで書かれているけれど、神話部分がダイジェスト紹介に留まっていて現実世界にのっぴきならない作用を及ぼしてはいない。伸びやかな言葉からは作者の良さが心地よく伝わってくる。ここからより力強い作品を生み出してほしい。
『Replace Grace』
現代的で興味深い分野を、登場人物の皮膚感覚を伴う台詞で描き出していることにとても好感を持った。作者がどの人物にもある距離を保ちながらドライに描き出している視点にも共感。根本にリアリティも感じた。エンドマークまで行き着いて、続きがあればと願った。フィクションの力を借りたのだから、サンプル開示を踏み越えて、作者自身の意志や未来をどう見通しているか、その先にもっと触れたいと。
『メゾン・ド・ユー』
演劇における面白さをどこに求めるか。感性はむろん作者それぞれなので、圧倒し説得して欲しかった。人物がキャラクター化されすぎていてダブつきや既視感をもたらし、新たな登場人物ほど新鮮さが薄れてしまった。物語の疾走感は印象的。
『些細なうた』
実在の歌人の50作近い短歌群が作品の大きな魅力になっている。戯曲は、その優れた素材を自分の世界観へうまく纏め上げていたと思う。シンプルなストーリー軸でありながら、構成の工夫、語感やリズム感で鮮やかに彩られている。現実と抽象世界のリンクの仕方も推進力があった。企画前提の作品として見ると大満足なのだが、戯曲賞という観点からすると、素材の力が大きすぎた。個人的にはとても好きな作品。
『西のメリーゴーランド』
筋を追うことが主眼となっていて、それを通して何を見せたいのか、どこに着きたいのか、大きな企みがない。家族や輪廻、生死観など材料は点在するのだが一過性で浅いのが残念。表層の笑いや涙の奥を追求してほしかった。実際の上演ではきっと面白く立ち上がるのだろう、登場人物全員に作者の愛が注がれていたから。

斎藤 歩

動く物
一番面白かった。面白いのだが…星の王子様を引用しているのだが、引用するための仕掛けが弱いと感じた。二人芝居で、この引用によって、二人の俳優が別の側面を見せてくれる可能性を期待はできるのだが。ジャガイモを薄暗い所で発芽させたことがあるので、あの衝撃は共感できた。人間も動物で…みたいなことだと思うのだが、若い世代の不安定さをどのように舞台化するのか、一番興味を持てた作品。

鱗の宿
今回の中では好きな戯曲だった。全編通して気になるのが陽という高校生の饒舌さ。陽が語るいくつかのことが唐突に感じてしまう。素振りとか。芳井の鱗を盗む動機にもやや無理を感じる。家の外で次々に起こる割と激しい事と、石渡の家の中の平穏さのアンバランスさはいいのだが、その当事者が登場しないことが多く、語られることだけで、ちょっと物足りない。人魚堂という洞窟の構造も想像するだけであまりちゃんと語られていない気がして、「水が沁み出している」と言われたり、「島が沈む」という感覚が、もう少し具体的にイメージできないのかと感じる。「人魚の子ども」のお話が、「秘密をしまう箱」に繋がることがスッ腑に落ちないのが残念。

サウンズ・オブ・サイレンシーズ
幼稚だと感じた。大人の男女の悩みを描くには幼い。人物がいずれもステレオタイプで「キャラ」という設定で描かれている気がして会話がつまらない。こういう設定やプロット思いつくのであれば、会話をもっと大人の会話にしなければならないのではないか。どの人物も物語の流れを説明する会話しかない。渉が姉と関係を持ったことが無理に感じて、大人を描けばそれがないのだが、そもそも、設定とかプロットだけで客を裏切ろうとする、まるでRPGを構想するかのように演劇を描き、登場人物を「キャラ分け」しているからではないだろうか?

些細なうた
何故ラジオドラマを書く劇作家との二重構造が必要なのか?ヒントを得た解決結果が31文字だというのがあまりにスッキリせず、「サイト」とか「→」とか言う登場者の扱いも、いつの間にか現れなくなったり一貫しない。引き籠る男の外への挑戦物語なのだろうが…笹井さんの短歌がいずれもいいのだから、もっと違う物語にした方が良かったのではないかと、感じてしまった。

10分間~タイムリープが止まらない~
つい笑いながら読み進めてしまった。滑稽でおかしくて、気の毒で、笑ってしまったのだが、どこか都合が良すぎて、完全に気持ちを預けられなかった。結局みんなで仲良く映画を撮ろうという良さげなお話で、結果的に物足りなかった。それにしても、ちょっと笑った。

鶴吉印章堂~畑山さんの印~
登場人物が皆饒舌過ぎて、舞台上で喋り続ける強迫観念でもあるのだろうか?普段こんなに喋らないなどと言わせながら、喋らせていることの無理を感じる。判子屋という仕事、離婚を決意した女、この設定だけで、そこからさほど広がりがなく残念。女房と主人の関係も薄っぺら。何で判子を忘れたのか、それが離婚届なのかと期待もしたが、違っていたようだ。ちょっと好きなんだけど。

中ノ嶋ライト
無理がある。男女関係のもつれと解決に必然性が感じられない。対立だけが目的なのではないか?白熱電球のことを懐かしむムードだけで、先が読めてしまい、つまらない。なぜ主人公は47歳の教師でなければならないのだろう?

西のメリーゴーランド
他の作品のいくつかにも感じるのだが、どうしてこうも笑ってもらおうとするのか?生死を設定で遊ぶRPG的な作品だと感じた。そのくせにありふれたアットホームさや一般論としての家族像を嵌め込み、共感を得ようとしているようで、ウェルメードには至らない。

南の国から
神話という者に対する畏れや、疑いなど、検証もなくただそれらをダイジェストにしているものは、現代演劇として成立しないのではないか。「北の国から」という有名ドラマとの対比というセンスや、設定、セリフなどレベルが低い。兄と先生が結婚したことで引き籠ってしまう妹など、リアリティに欠けることが多く、辛かった。

メゾン・ド・ユー
「キョドリながら」「腐女子風」というト書きの意味が私にはわからず、世代の違いを感じた。危機回避能力とか、人を能力で測るあたりなど、やはりこれもキャラで描くRPG的。そして、偶然が多すぎる都合のよさ。結局はいいお話にまとまって、現状肯定をして観客も安心して家路に着くというわけなのだろうか。

Replace Grace
科学・医学そして倫理のような話だが、人物を描くことより、観念というか論文のようで、演劇として面白みがない。異なる意見の対立もあるようでない。問題提起にもなっていない。予定調和的な対立のみで浅い。

土田 英生

本橋さんの『動く物』が大賞になった。おめでとうございます。昨年、一昨年と大賞が出ていない状況だったのでその結果に胸を撫でおろした。さらには今年も雪のために審査員たちがなかなか札幌に集まれず、結局は何時間も遅れての開催だった。それでもなんとか開けてよかった。同じ理由で審査会自体が2ヶ月もずれた昨年のことを思うと、本当によかったと思う。

私は最初島田さんの『鱗の宿』を推した。この人の作品はこれまでに何本も読んでいて、私はいつも気になる。確かな力量もあるし、何より私は彼女の作風も含めて好きなんだと思う。ただ、もったいないのは石渡夫婦の物語が軸としてもう一つ機能し切れていないことだった。島という場所自体を描いているとするとそれも弱い気がするし、中途半端な印象を残してしまっている気がする。

『動く物』の得体の知れなさに関して私はかなり用心深かった。具象と抽象のはざまでつむがれる会話はとても魅力的だったし、出てくるエピソードには実体感もあった。ただ、時折、その世界で泳ぎきれず、作者の意図がひょっこりと顔を出す瞬間が気になったのだ。後はタイトル。一周回って敢えてこれになったのだと思うが、もう少しタイトルの付けようもあったのではないかと個人的には思った。

佳作になった中野さんの『10分間?タイムリープが止まらない?』は、アイデア自体は斬新ではない。ただ、繰り返されるタイムリープの中で、主人公や周囲の反応の差異の描き方が見事だと思った。中心となる物語の芯がもっと太ければかなり面白くなると思う。タイムリープから脱した時に、もう少し大きなカタルシスが欲しい。

審査会の過程で最後まで遡上に上がり続けた田邉さんの『鶴吉印章堂~畑山さんの印~』は評価が難しかった。瑕疵も見当たらず、多分、上演を見ても普通に満足できる作品なんだと思う。ただし、その分、残るものも少ない。ドラマは時間の変容と人物の変化がカギだと考えるが、その点、そうした変化が弱い印象だった。
北海道戯曲賞に関して毎年困るのは、なぜか私が個人的に親しくしている劇作家の作品がたくさん候補に残っていることだ。今回で言えば川口さんと滝本さんは頻繁に話す間柄で、今回の候補作の上演も観ている。もちろん努めて冷静に読み審査会に臨んだ。

滝本さんの『中ノ島ライト』は白熱電球を作る会社が舞台になっているが、ここで起こる人間模様と、なくなっていく白熱電球がうまく絡まないのがもどかしい。内側の会話は上手くかけているのに、「環境会議」「市長」など舞台の外に広がる世界を構築できていないのが致命傷だと思う。

川口さんの『西のメリーゴーランド』は改めて台本で読むと、あまりに説明が多いのが気にかかる。SF的な設定にリアリティを持たせたい場合、もっと大胆に説明を省く作業が必要な気がする。コメディのセンスは確かなので、設定に凝らず、もっとシンプルな話を書いてみたらいいのでは……これは彼に対して常に思っていることだったりする。

田坂さんの『些細なうた』は劇中で使われている短歌が魅力だ。ただ、これは笹井宏之さんが書いたものだ。もちろん盗作というのではなく、作者は許可も取って意図的にこの作品を書いている。タイトルに使われている「些細」というのも、笹井宏之さんが書いていたブログのタイトルだったようだ。けれど戯曲として評価することには戸惑いを感じた。

大迫さんの『南の国から』は神話を挿入するメリットが感じられなかった。神話に対する作者の距離も図りかねた。

弦巻さんの『サウンズ・オブ・サイレンシーズ』はあまりにも世界が小さい。構成には面白味を感じたものの、それだけで終わってしまった。

荒木さんの『メゾン・ド・ユー』 は面白い台詞は散見されたけれど、笑いとしても弱くて苦しかった。

木村さんの『Replace Grace』 は戯曲として書いていることをもう少し意識して欲しかった。場の転換があまりに都合よすぎる。どの場を切り取ったら演劇になるのかを考えて、踏ん張って書いてもらいたいと思った。

最終候補が11本ということで、今回はとても苦労した。ただ、作品の質としてはかなり高かったのではないかと思う。本橋さん、中野さん、改めておめでとうございました。

畑澤 聖悟

『些細なうた』が面白かった。夭折の歌人・笹井宏之の短歌を手がかりにして重層的に広がった世界が主人公の引きこもりからの脱出と作者の脱稿に収束される。言葉遊びも自由かつ豊かでぐいぐい読めた。歌人の作品世界をあの手この手で変奏してみせる手腕が見事。ただ戯曲全体の魅力より、多く引用される短歌そのもの魅力が勝っていることは否めない。評伝劇としては当然モチーフを際立たせるべきであるからこれで正解なのだが、結局面白いのは短歌だよね、という印象がどうしても残る。戯曲としてどう評価するか審査員の間で意見が分かれ、残念ながら入賞には至らなかった。

『動く物』は小さな世界を描き上げる物語。男女が脱走したペットを捜索するうち6畳間が一つの生態系として立ち上がり、その中に同じ動物として取り込まれていくアイディアが面白い。台詞が抜群に巧く、独特の世界観も見事。大賞として推すのに何の躊躇も無かった。ただ終盤、構造として仕掛けてあることをわざわざ台詞で説明しているのが勿体ない。もっと放り投げてくれればいいのに。

『10分間~タイムリープが止まらない~』はたたみ掛ける展開が見事。10分間という時間制限がスピード感を生んでいる。劇中示されるタイムリープのルールが強引でありながら腑に落ちるあたりに作者の力量を感じる。掛け合いなどの細部に強度があり、これは上演を繰り返して積み上げたものではないか。途中ウエットになりそうでならないあたりもよい。
ただタイトルはもうちょっとなんとかならなかったのか。

『鱗の宿』は手練れの作品。雰囲気を作り上げるのが抜群に巧く、閉塞した空気感がびしびし伝わってくる。このコミュニティを支配する人魚のイメージが不明瞭なのが惜しい。
登場人物がもっと動いて欲しいと感じた。

『鶴吉印章堂~畑山さんの印~』は独特の雰囲気を持つ作品。延々と続く無駄話を生き生きと描いている。欲を言えば、せっかく並べた情報を後半の展開に貢献させるような企みが欲しかった。

『サウンズ・オブ・サイレンシーズ』同じ場面を、主観を変えて再生するなど成が巧み。会話のリズムもよい。技術には感心するが、上手に組み立てること自体に作者の興味が注がれているように感じる。つばめの妊娠が判明した時点で終わるのは物足りない。ドラマとして見応えがあるのはこの後ではないか。

『中ノ嶋ライト』旧技術へのノスタルジイで押すのかと思いきや、中小企業内のドラマに主眼があり、読み応えがあった。ただ、個々の人物造形にはもうひとつ深みが欲しかった。白熱電球が無くなる事が決定的になってからのやりとりがやや長い。

『西のメリーゴーランド』はスラップスティック人情噺。楽しく読んだが、設定も展開も作者に都合良過ぎるのが残念。

『南の国から』さわやかな語り口に好感が持てるが、現代の物語と神話の物語がいまひとつ互いに貢献していない。

『メゾン・ド・ユー』古いコントをつなぎ合わせたような印象。一生懸命面白いことをやろうとしている事は伝わる。

『Replace Grace』被験者同士のやりとりなどなかなかスリリングで面白い。ただ全体的に生命倫理に関する既存の議論をトレスした印象。素材のまま並べたように感じた。

前田 司郎

前提として。僕が小説や戯曲を書くとき、五十年前の人にも五十年後の人にも外国の人にも相手が人間であれば通じるような普遍性と、技術が進歩してもAIには書けない身体性をもったものをと、心がけている。なので、審査の際もその基準で見た。しかし、それが果たして戯曲賞の審査の基準として正しいのかどうかわからない。ただ僕は批評家でも評論家でもなく作家なので、自分の基準でしか見れないのでこれまでそうしてきたし、今年もそうした。

『メゾン・ド・ユー』
伏線を上手く回収していましたという感じ。飽きずに読んだが、ある種の軽さだけがあって、その軽さも呆れるほど端的でなかった。どうでも良い物を書くならとことんまでどうでも良い物を書いて欲しい。それなら読みたい。

『Replace Grace』
終始同じ話をしているように読めた。一側面しか描いていないから深みを感じられない。無駄が必要では? 頭で考えて作ったように感じてしまう。身体も使って、理屈に合わないところも、思い通りに行かないところも、あった方が良いと思う。贅肉のない体のような本に感じた。贅肉がなく美しい本もあると思うが、それには詩情が必要だと思う。

『10分間~タイムリープが止まらない~』
このアイディア自体、新しいのか古いのかわからないが、こういうのにあまり馴染みがないから「良く出来ているなあ」と思った。登場人物たちの戯画化が少し目立ちすぎたように思う。突拍子もない設定を信じさせるためには、もう少し生っぽくても良かったかと思う。

『鱗の宿』
好きではないけど雰囲気がある。雰囲気だけになってしまっているようにも読めた。何か、作者自身の切実さのようなものが僕には見えなかった。上演のために書かれたように思える。書かねば済まされないような熱が感じられなかった、こっちの問題かも知れないが。この作品が優秀賞を獲ってもなんの文句も無いとは思ったが、積極的に推す気にはならなかった。

『鶴吉印章堂~畑山さんの印~』
会話が良い。好感を持って退屈せず読めた。が、人と人との接近が都合よすぎに思えた。そんな簡単に近づけるもんかなあ。四人とも人懐っこ過ぎないか? 大事な部分を歌に仮託するようなやり方は感心しない。そりゃ歌には観客の胸座を掴んで揺すぶるような力がある、戯曲はもっとさりげなく客の心を揺すぶるものだと思う。せっかく会話で作ってきてそこで歌うの? と感じた。ドキュメンタリー仕立ての青汁のCMを思い出した。演出次第なのかなあ。

『サウンズ・オブ・サイレンシーズ』
なんかよく出来ていたけど、会話がなあ、下手だったなあ。理屈で作ったっぽいんだよなあ。人物が物語に隷属してるのではないか。願わくは登場人物は、作者よりも偉く賢い方が良いと思う、作者の奴隷のようになってはいけないだろう。ちょっとそういう風に感じてしまった。

『動く物』
これを一番に推した。面白かった。対話が良い。人物に魅力を感じた。長田さんが言うように確かに引用の部分は無くても良かったかも、しかしあっても良かったと僕は思う。もう少し長く登場人物も多い戯曲も読みたい。

『中ノ嶋ライト』
電球の説明とか減らして、もっと人間関係を書けばいいのにと思った。人間関係においてハッとする瞬間もあった。最後結局互いの感情を爆発させて終わらすのなんだろう?
よく見るけど。別に綺麗に終わらす必要もないんじゃないだろうか。入れ子になってる構造も必要だったのかな? あの部分をなくせばもう少し人物を描けたのにと思う。

『南の国から』
よくがんばった市民劇みたい。よく出来た市民劇であったなら、もう少し高い評価が出来たかもしれない。頑張ってる感じが見えてしまったように思う。タイトルやファーストシーンで、「北の国から」のパロディであることが明示されており、それが作品自体の質を高める効果を生んでいるとは思えない。作品の格をさげていると思う。ほんとうにその小さな笑い必要だった?

『西のメリーゴーラウンド』
無理に笑わそうとするのはいらない。家族のお涙ちょうだい話が雑に思えた。こういうベタなネタはよっぽど良く出来てないと、すでに見たことのある話に思えてしまう。

『些細なうた』
短歌良かったと思ったら引用だった。会話はセンスを感じるところもある気がする。引きこもりが希望を見出すという物語を陳腐に感じてしまった。これを陳腐に感じさせない工夫が必要だったと思う。ラジオドラマどうのが必要だったのか? ラジオドラマどうのをなくして家族の話を膨らますべきだと思った。家族の話はもっと読みたかった。

色々思ったことを書いたが、上に書いたようなところを気にして書いたとしても、僕の趣味にあった作品にはなるかもしれないが、それぞれの作者の趣味と符号するとも限らず、僕は常々「お前ら審査員なんかより俺の方が面白い」と思って審査を受けてきたから皆さんもそうであると思うし、だからこんな選評はすぐ火にくべてしまえ。

受賞作品集
平成29年 北海道戯曲賞 作品集(PDF形式:7,02MB)   PDF
第3回 2016年度(平成28年度)
データ
募集期間平成28年6月1日~9月2日
応募数117作品(新規94作品)
男女別
男性女性
79名38名
年齢別
10代20代30代40代50代60代70代不明
2名33名45名21名7名7名1名1名
都道府県別
東京都北海道福岡県神奈川県京都府埼玉県千葉県大阪府兵庫県
20名16名8名3名2名2名2名1名1名
岐阜県新潟県秋田県岩手県栃木県愛知県香川県熊本県鹿児島県
20名16名8名3名2名2名2名1名1名
受賞作品等一覧
大賞 該当作品無し  
優秀賞 『海の五線譜』 吉田 小夏
『Sの唄』 藤原 佳奈
最終選考作品 『あの町から遠く離れて』 土橋 淳志 (大阪府)
『海の五線譜』 吉田 小夏 (東京都)
『Sの唄』 藤原 佳奈 (東京都)
『カノン』 村上 典子 (東京都)
『チャットルームでなぐり合い!』 中野 守 (兵庫県)
『ひみつ箱』 鈴木 穣 (東京都)
『船の行方知らず』 合田 団地 (京都府)
『ブルーマウンテン号の卵と間違い探し』 イトウワカナ (北海道)
『ミュージカル「DAICHI」』 まきりか (東京都)
『めくじら尺』 平石 耕一 (埼玉県)
審査員一覧
長田 育恵(演劇ユニットてがみ座主宰)
斎藤 歩(札幌座チーフディレクター)
土田 英生(MONO代表)
畑澤 聖悟(劇団渡辺源四郎商店主宰)
前田 司郎(劇団五反田団主宰)
選評
長田 育恵

昨年に続き優秀賞二作という結果になりました。それは、この戯曲賞が「応募作の中から相対評価で優れた作品を選ぶ」わけではなく、私たちが抱く、より大きな問いと不可分であるからだと思います。熱量を持つ戯曲とは。読み手をどうしようもなく突き動かし、あるいは何かしら見過せないものを孕む戯曲とは。そうした意味で、演劇に携わる創作者という同じ視点で、各作品と対話するように読みました。
全体的な印象として、今回の最終候補作は、危なげない地点で戦っている作品が多く、もっと、書かざるを得なかった作者の切実さに触れたいという思いが募りました。その中で、幾つかの作品について触れます。

『ブルーマウンテン号の玉子と間違い探し』家族という共同体を考察することへ身体的にアプローチしようという試みに惹かれました。けれど問いかけの間口を広く設けたものの、ここからが検証の本腰というところで手控えている。リズム感と身体感覚という武器があるのだから、もっと欲張りになってもいいのでは。
『あの町から遠く離れて』冒頭でかなり引き込まれたのですが、進むにつれてエピソードが既視感のあるものとなり、複数のラインを手堅く回収した印象。世界観の魅力が、「ゴドー」など既存作品に大きく依っていたのが残念。けれど、軽やかな発想や文体、場面展開の妙など、作者のほかの作品も読みたいと強く思わせられました。
『DAICHI』候補作中、唯一のミュージカルに言及します。この主題を書くためにミュージカルの手法を使うことは正攻法。誠実に書かれていました。反面、主題と形式に甘えてしまう危険が。史実から着想を飛翔させ、よりドライに捉え直すことから作品の可能性を探ってほしい。近年、市民参加型の作品を創る企画が多いからこそ、オリジナルミュージカルの強度や豊かさをもっと貪欲に求めていきたい。
『Sの唄』語り手一人ですが、様々な情景が体感できました。作者の五感が生きた文体に最も強く惹かれました。唄うことで演じ手が異層に入っていくことも、その戻り際が妙に生々しく感じられそうで。小品ながら、作者が今、この作品を書かなければならない切実さと力強さを最も感じました。作者の才が光る一作だったと思います。
『海の五線譜』一本推すならばこの作品だと審査会に臨みました。戯曲構造、技術、世界観の美しさなど候補作の中では随一だと。この作品で特に印象深いのは、新婚旅行先で単独行動することになった新妻が、かつて恋した男に再会し、一線を越えるかどうか揺らぐ場面。登場人物たちの暗部をも含めて描き出されていれば、より大きなうねりを生んだのではないか。「安心して観ていられる作品」から一歩も二歩も踏み出していけたのでは。残念ながら、ほかの審査員たちを動かすところまでには至りませんでした。

斎藤 歩

3年目に入り、昨年大賞を選ぶことができなかったので、今年こそはと10作品を読ませていただきました。12月の審査会が豪雪のため流会となり、1月に延期されたことで、更に読む時間を得ることができたのですが、やはり群を抜いた大賞に推したい作品を見出すことができないまま、審査会に臨みました。大賞とまでは行かないが「あの町から遠く離れて」は、巧みな構成や、散りばめられた一見無意味に見える伏線が次々に回収される快感から、軽快に読み進めることができました。しかし、軽快に読んだというだけで、なぜ「ゴドー」である必要があるのか?など、劇作家がそれを選んだ根拠のようなものが乏しいのではないかと感じました。
それを書いた劇作家にとって「個人的な切実さ」のようなものが必要なのではないかと思います。書かざるを得ないほどの衝動、とまでは言いませんが、創造する集団性に阿ったり、経済に左右されたりするのでなく、戯曲として自立していて、その人にしか書けない、他に類を見ないものを、どうしても期待してしまうのです。巧みであったり、上手であったりするだけでは、私は嫉妬できないのです。
そういう点で、審査員の皆さんとの議論の中で「Sの唄」と「海の五線譜」には、その劇作家たちが固有の切実さを持ち、何かを振り切っても進もうとする意志のようなものを感じることができたのだと思います。2作品とも私が突き動かされるほどの作品ではありませんでしたが、そうした力や個人的な創作根拠のようなものを感じて、私も納得して優秀賞に選ばせていただきました。

3年間で1回しか大賞を選ぶことができなかったのはとても残念です。しかし、昨年大賞を選べなかった時の議論を経て、今年の作品に向き合ったとき、やはり前年の議論を捻じ曲げて北海道戯曲賞の志を貶めてはいけないという認識を審査員全員が共有していたのです。
今後も北海道戯曲賞というものが、北海道戯曲賞固有の理念と、大きな志を築き、貫いて行くことが望ましいと考えています。

土田 英生

昨年の審査会は雪の為に中止になり、仕切り直した二ヶ月後の審査。読んで間もない興奮は去り、逆に冷静な話し合いになった気がする。けれど、最後、「大賞を出すのか出さないのか」から、発表された結果になるまでは随分と言葉を交わした。魅力と欠点を同じ秤で比べられない難しさがあった。結局、優秀賞二作品に落ち着いたが、構造としてよくできているのは『あの町から遠く離れて』、言語感覚は『Sの唄』、全体のまとまりは『海の五線譜』という感じで、最後まで意見は割れた。  大賞を出すにはどうしても決め手に欠けた。昨年との比較もあり、安易には決められなかった。

それぞれの作品についての印象を書かせてもらおうと思う。

台詞は『Sの唄』が突出していると思った。語られるエピソードも陳腐でなく、それでいてリアリティがあった。ただ、一人芝居いとうこともあって、魅力のほとんどが一人称で語られる言葉にあるのが気になった。構成に少し工夫が欲しい。最後、誰も客のいない中で一人で語り歌っていると分かるところが物語としては「オチ」になっているのだが、だとしたら、前半を『最後のライブ』をやっている体で、そのタイムラインを面白く示してくれたらと思った。エピソードの中に出てくる「最初にやったライブ」と現在進行しているライブが混在していて分かりにくい。
『海の五線譜』は人の過ごした時間を感じさせてくれる作品だった。ただ、健介と典子、そして和彦の過去の関係が描き切れているとは言いがたく、その分、現在の夫婦の有り様に抱く感慨が弱くなっている。新婚旅行先での出会いなど、都合のいい展開も気になった。
最後まで悩んだのは『あの町から遠く離れて』だ。構造的にもとてもよく描けていて、エンターテイメントとして読ませる力がある。気になったのはゴドーをベースにアトムやゴジラなど、創作物からの引用が多すぎることだ。使い方がうまいという印象ばかりが残ってしまう。その登場する人びとの魅力がもっと突き出て来て欲しかった。
『ひみつ箱』は過去に遡って行く中で、二人の変遷がわかるのはオーソドックスな手法で飽きずに読めた。ただ、その年月の変化に驚きが感じらえないのがもったいなかった。
『船の行方知らず』。興味を惹かれる台詞はあったが、出ていった女、彼女を愚直に探し続ける男の存在が立ち上がってこない。女はなぜ出て行ったのか、なぜ戻ってきたのか、男はどうして探すのか? 具体的な理由はいらないけれど、了解感は必要だと思う。
『ブルーマウンテン号の卵と間違い探し』。次男が性犯罪を起こしたその後の家族。船の上が抽象的な表現にするならば、家族のシーンは実際に何が起こっているのか、どんな会話がなされていたのかなどを具象的にしなければ構造自体が意味をなさないのではないか?
『チャットルームでなぐり合い!』は着想は面白いけれど、五味や一井、四日さんなどが知り合いであることにリアリティを感じられない。納得させる仕掛けを工夫すべき。
『めくじら尺』。現在に続く過去がしっかり調べて書かれ、それをあえて言葉などを変えることによってフィクションと成立させようという試みは良かった。ただ、台詞が説明的でこなれていない。また、登場人物が多いせいもあり、それぞれが生かし切れていない印象だった。俊介の背景なりをドラマにしてほしい。
ミュージカル『DAICHI』に関しては、正直、どう捉えて評価していいのか判断ができなかった。戯曲としては成立していない気がする。大地の死を都合よく使い過ぎだと思う。
『カノン』は面白くなりそうな気配はあった。けれど、登場人物のやるせなさが立ち上がってこない。長男と父がどんどんという音でコミュミケーションを取るのは面白いのだが……。関係ないことだが、台本が読み辛すぎた。人が読むものだということを少し考慮してもらえると有難い。

畑澤 聖悟

3回目の北海道戯曲賞であり、審査させて頂くのも3回目である。過去2回に較べて一定の水準を満たす作品が揃っていたように思うが、突出した何かには出会えなかった。それでも大賞を出すかどうかについて審査員一同議論を重ねたが、残念ながら前回に続き今回も大賞なしとなった。
「Sの唄」は一人芝居。コンサート中のシンガーソングライターの歌とMC。主人公はいわゆるイタい女なのだが、その自意識過剰ぶりにイヤミがない。書き手の切実さなのか、ぐいぐい読ませられた。一人称であることを戦略的に活用していると感じた。ラストは母親の話に収束したが、小さくまとまってしまった感があり残念。終わってしまったことを語るだけでなく、なにか事件が起きて欲しい。コンサートの枠組みを壊してでも飛躍があればよかったのに。どれか一本選べと言われたらこの作品と思ったが、大賞として強く推すほどの決め手はなかった。
「海の五線譜」は手練れの作品。老いや死への恐怖が「一番大事なことから忘れる」ことの残酷さとして語られる。絆すら奪われても残るものはあるというささやかな希望で幕を閉じるのがいい。人物造形(特に男性)に暗部がないのが印相的。女性から見た「都合の良い男性像」は意図されたものなのなのか。だとしたらもっと戦略として徹底すればいいのにと思ったが、余計なお世話かも知れない。
「ブルーマウンテン号の卵と間違い探し」は逃亡する家族を海原のゴムボートに置き換えた。家族=船はよくある置き換えであるが、潔く徹底していていい。陸地に着いて船を降りるくだりがあっさりしていて残念。家族=船なら書くべきなのはそこだろう。ただ作者の以前の応募作からは格段の進歩が見られる。今後に期待したい。
「あの町から遠く離れて」は三題噺と複数のラインをうまく収束させた。技術には感心するが、うまく収束させること自体に作者の興味が注がれているのではないか。ゴド待ち、アトムなど各要素の扱いが表層的。震災を軽く扱っているように見えるのが、東北の人間としてはどうにもひっかかる。
「ひみつ箱」はひと組の男女の破局から出会いまでを遡って描いたが、手法に既視感がある。勿体ない。ラストシーンはなかなか切ない。

前田 司郎

嫉妬する作品はなかった。上手だなと思う作品はあったが、上手なのがばれてしまっては駄目だと思う。ヘタクソなのに魅力的で、実は技術的に優れている作品が読みたかった。というか、結局僕自身の好みでしか評価できない。その辺は申し訳ないが、評論家ではないので容赦ねがいたい。今年は全作品に触れようと思う。

①「ブルーマウンテン号の卵と間違い探し」人工の狂気を感じた。好きになれない。きっとどんな人にも狂気はあると思う。作者のもつ、作者本人も隠したいような部分が見たい。
②「船の行方知らず」意味ありげな雰囲気が漂っているが、意味を感じられない。面白くなりそうという予感だけで、そこから展開がない。設定に設定を重ねていくのではなく、設定を展開させていく筋力が必要なのでは。
③「ひみつ箱」会話はとても上手だと思った。けど、なんで時間を逆光するのかわからない。登場人物の二人が全く好きになれなかった。会話には物語りを進めるための筋肉と、作品を魅力的にする贅肉が必要だと思う。贅肉がないと人物がただ物語を成立させるために存在してしまう。せっかく時間を遡っているのだから、過去に興味を抱かせてほしい。逆行することは後から思いついたのでは? 逆行を生かせる設定を。
④「あの町から遠く離れて」最初面白そうだったが、既存のフィクションや出来事に仮託しすぎで、志が低いと思う。震災や原発の問題の扱い方も直接的過ぎてダサいと感じる。好きじゃない。技術は一番高いと感じた。ゴドーやアトムやゴジラを尊敬するなら、それを超える作品を書くことに尽力すべきでは? 私見だが、虎の威を借りるべきではない。
⑤「チャットルームでなぐり合い!」おばちゃんが女子大生をやるとか、ネットの世界を芝居にしました感とか、悪い意味で古い。現代の事象を描きたいなら先端のものでなくてはいけないのでは? チャットルームって、今さら。劇中にエクスキューズがあったが、わかってるならこのアイディアは捨てるべき。最初に浮かんだアイディアを無邪気にやりすぎ、もう少し疑った方が良いと思う。
⑥「めくじら尺」ごめんなさい。どうしても読めなかった。誰が誰だかわからない。話が全く入ってこない。一応読んだけど、全然、わからない。僕の問題かも。他の審査員の方にお任せした。
⑦「Sの唄」笑かそうとしているところが全部キツイ。中学生的な感性が嫌。でも、そういう人でしたというオチだからいいのかな? しかし、これは実際みたら相当きつそう。他の審査員の皆さんと話しているうちに、確かに本作に一番「書きたい」という衝動のようなものを感じた。でも僕はやっぱり、笑わそうとしている感じが滲んでいるのが好きではない。
⑧「MUSICAL DAICHI」ふざけてるのかと思ったら全くの無邪気だ。ひねりがない。超素直。気持ちがいいくらい。意外と好きだけど、戯曲賞だから評価は出来ない。
⑨「カノン」非常に読みづらい。内容とは関係ないけど、びびった。原稿用紙の書式にしているのかな? 一度プリントアウトした物を自分で読んで書式を整えてほしい。俳優にも渡すのだから、読みやすい書式を心がけてください。内容の方もルールの説明が長い割りに面白くないゲームをプレイしたみたいな気持ち。軽い会話に面白みがない。「この芝居はこうやってみるんですよ」というルールは出来るだけ判りやすく短い方が良い。自分しかルールを知らないカードゲームを誰かに教えて遊ぶことをイメージしてもらいたい。
⑩「海の五線譜」作為を感じない劇作に好感を持って読んだ。しかし都合がよすぎる。新婚旅行のエピソードなど特に。迂闊にも、妻の元恋人の地元を旅行先に選ぶ夫。動けない程の腹痛を抱えた夫を放っておいて元恋人と会う妻とか。作者の都合に寄せすぎ。物語自体がお寺に置いてある教育絵本みたいに視野が狭い気がする。「物語」と「作者の都合」が内通し癒着している。両者は対立すべきだと思う。
僕は④と⑩を消極的に押した。

偉そうなことばかり言ったが、その言葉は全部自分に返ってくるものと自覚せねばならぬ。

受賞作品集
平成28年 北海道戯曲賞 作品集(PDF形式:6,64MB)   PDF
第2回 2015年度(平成27年度)
データ
募集期間平成27年6月8日 ~9月25日
応募数76作品(新規69作品)
男女別
男性女性
54名22名
年齢別
10代20代30代40代50代60代70代
2名21名24名16名7名2名4名
都道府県別
東京都北海道福岡県神奈川県京都府愛知県大阪府千葉県埼玉県兵庫県三重県富山県熊本県
25名16名8名5名4名4名3名3名3名2名1名1名1名
受賞作品等一覧
大賞 該当作品無し  
優秀賞 『終わってないし』 南出 謙吾
『ぼくの、おばさん』 池田 美樹
最終選考作品 『浮いていく背中に』 原田 ゆう (東京都)
『終わってないし』 南出 謙吾 (東京都)
『戦うゾウの死ぬとき』 すがの 公 (北海道)
『中央区今泉』 幸田 真洋 (福岡県)
『流れんな』 横山 拓也 (大阪府)
『ブスとたんこぶ』 鈴木 穣 (東京都)
『ぼくの、おばさん』 池田 美樹 (熊本県)
審査員一覧
長田 育恵(演劇ユニットてがみ座主宰)
斎藤 歩(札幌座チーフディレクター)
土田 英生(MONO代表)
畑澤 聖悟(劇団渡辺源四郎商店主宰)
前田 司郎(劇団五反田団主宰)
選評
長田 育恵

今回は優秀賞を二作選出という結果になりました。全体的に手堅くまとまってはいますが演劇作品として新たな視野を切り拓くには至っていませんでした。今後の期待を込めて全作に、少しずつ触れさせていただきます。

『浮いていく背中に』詩的な文体や断片に宿される光に好感を持ちますが、それらを用いることであぶり出そうとするものが観客に迫ってこない。現時点では、俳優の身体を通して存在するものより作者の手つきの方が表出しているのが惜しい。

『ブスとたんこぶ』作者が描こうとする人物の人間性に最も興味を惹かれました。ですが台詞や筋に既視感があり、設定が澱のように淀んで作品の魅力を曇らせている。設定を間引いて、今ここで立ち上がる人物描写に注力したら力強さを獲得するのでは。

『流れんな』台詞が芝居の空気感を孕んでいて魅力的。提示される話題も興味深い。けれど芝居の骨子が話題の移り変わりに依っていて、舞台上で今立ち上がるドラマが薄い。太いドラマにしていける筆力のある方だと思う。

『中央区今泉』群像劇ではあるが個々のキャラクターが掴みやすく、登場人物の心情もうまく組み上げられている。綺麗にまとまっていると感じるが、それだけに設定や登場人物配置、筋に既視感が否めない。

『戦うゾウの死ぬとき』男と女が何度も出会い直すという試みは興味深く、終局に事態が動き出したとき爽快感がある。けれど戯曲としては大雑把。不条理の中にきめ細やかなリアリティを埋め込んでいけば、より魅力的な作品になるのでは。

『終わってないし』ささやかな日常を見つめ丁寧に組み上げていて、細部に光が宿っている作品だと感じます。ただ演劇としてはまだ幹が細く、射程距離が狭い。こまやかな感情を汲みとる実力を持った作者だからこそ、もっと大胆に踏み出すこともできるはず。

最終的に『ぼくの、おばさん』を推しました。舞台に推進力と生命力があり、観客を引き込む力が強い。そして観劇後、確かに観客の記憶に焼き付く情景があると思う。手法としては新たな座標を持ち込むものではないが、演劇作品として最も熱量を感じました。

既視感のある場所には安心感と一定の保証が伴うと感じるかもしれません。でも作者にしか生み出せない景色を探し求める時にこそ、作者の奥底のエゴが晒され作品がこの世で唯一のものとなる。大きなエネルギーを内包する。自分が心底面白いと思う作品を求め、どこまでも果敢に。皆さんの次作を楽しみにしています。

斎藤 歩

昨年同様、まず、積極的に大賞に推せる作品がないという残念な印象で、二次審査に臨みました。昨年はそんな印象の中でも、一つ、群を抜いていた作品があったので大賞作品を選ぶことが出来ましたが、今回、いずれも他と比べて抜きん出た評価点を見出すことができず、苦しい審査会となりました。私以外の委員の皆さんも同様な印象であったため、かなり時間をかけてギリギリまで議論をしました。折角の北海道戯曲賞なのに「大賞なし」という結果は、あまりに寂しい気がしたのです。私もギリギリまで悩みました。しかし、どれを選ぶのかと言う所で、抜きん出たポイントが見つけられず、「大賞なし、優秀賞2作品」という結果に委員全員の意見が一致したのです。
気になったのはいずれも戯曲のスケールが小さいのではないか?という点でした。小さいことが悪いのではないと思うのですが(私の戯曲はかなり小さいものばかりですから)、もっと大きなスケールの戯曲が最終審査に残って来てもいいのではないかとも思うのです。近年の日本の演劇の傾向なのか、この戯曲賞の存在告知の方法などに問題があるのか、今後検討しなければならないのかもしれません。

北海道で演劇をしている者として、北海道の劇作家の作品が一つだけ最終選考に残り、それが身内でもあるすがの公くんの作品であったことも、気分的に複雑でした。実にすがのらしい戯曲だとは思いましたが、他と比べるとやはり、構造や台詞に弱点が多かった。彼のことを知らない委員の皆さんの御意見も同様でした。今後、もっと違う世代の俳優を想定した戯曲にも挑戦して、力をつけてまた挑んでもらいたいと思います。

土田 英生

大賞は出ない年となってしまったが、そのことも最後まで悩んだ。しかし、それは北海道戯曲賞をどういうものにするべきも含めスタッフや他の審査員の人たちと議論した結果だった。
北海道戯曲賞で私が最も興味を惹かれる点は、賞に「北海道」という冠をつけているにもかかわらず、応募者を場所で限定していない所だ。もちろん、北海道の劇作家の皆さんの活躍を期待するのは当然だ。だから例えば応募者を北海道で活動している人に限るという方法だってある。この場合、受賞者は北海道の劇作家になり、それなりのメリットも生まれると思うが、賞自体が内向きに閉じてしまうという側面も出てくる。
全国の作家を対象にすることで、より広い作品が集まり、全国からの注目も増す。そして受賞した作品を北海道で制作することにより、北海道で活動している人にとっても刺激や交流が生まれる。その為には「どの作品を大賞とするか」をしっかりと考えないといけないのだと思う。今回の大賞なしの結果は、この賞は相対評価だけで戯曲を選ぶのではなく、北海道戯曲賞をより魅力的な賞にする為の選択だった。そうして高まったこの戯曲賞を北海道の作家が取ることもあるんだと思うし、なによりその時を期待している。

個々の作品の印象を書かせてもらう。
池田さんの「ぼくの、おばさん」には引き込まれた。急一から見たタイプの違う二人のおばさんを描いているのだが、なにより台詞の距離感が絶妙で、地に足が付いて言葉が選ばれていることが分かる。こうした台詞の一つ一つは池田さんの確実なセンスに裏打ちされてこそのものだと思う。急一が緊張して実体感覚を失う描写も演劇的且つ効果的で、また、色気のある千代子に対する思春期男子が抱く甘酸っぱい感情などは手触りを持って伝わってきた。しかし、ドラマとしての展開がいささか平板であり、周りの人たちの行動や展開に、もう一つうねりが欲しいと感じた。そうしたドラマを避けるのであれば、急一の心の襞を掘り下げるなど、別の手もあった気がする。もう一つだけ意見を書かせてもらとしたら、タイトルがやや辛い気がした。捻った挙句、意図的に陳腐なところに着地させたのだと思う。読点の打ち方などから勝手にそう想像するのだけれど、それでも逃げ切れていない印象だった。
もう一つの佳作だった南出さんの「終わってないし」も読むことに労力を割く必要はなかった。冒頭からすんなり劇世界に入ることができ、ストレスなく読み続けられた。それだけに読み終わった時の物足りなさが際立ってしまったのかも知れない。彼はとても手練れな作家で、他にも何本も読ませてもらっているが、今回の作品で致命的にもったいなかったのは、話が明らかに後半で端折られてしまっている部分だった。書き足りていないことは南出さんも自覚している気がする。陽一と麻子の関係にしても、ラストでの洋子とのシーンにしても、頭では理解できるが、気持ちが追いついていかないのだ。「終わってないし」というタイトルにそういう意味も込めているのではないかとすら深読みしたが多分違う。中盤からラストにかけて、もう一シーン欲しい。また、ゲーム上での操作と現実がリンクして行くくだりも、それが話をになり切らずに終わってしまっているのが悔しかった。
「浮いていく背中に」の原田さんはエピソードや語られる台詞にとてつもない力を感じるし、基本的に登場人物がずっと後ろ向きに歩いているという仕掛けも面白い。ただ、モノローグの魅力に比べ、人物同士の接触には興味を惹かれずに終わってしまった。読めばいいのだが、戯曲としては物足りなかった。また、「浮いていく背中に」というタイトルと共に、踏切を越えて行くくだりはとても爽快で哀しいイメージを喚起されるのだが、それがもう少しこの戯曲全体を包み込んで欲しかった。
「流れんな」は上演も観ているのだが、その時と同じ印象だった。横山さんはとにかく台詞がうまい。そのニュアンスに引き込まれて騙されそうにはなるのだが、どこか心に引っかかりが残る。注意深く読んでみると、登場人物がその台詞を発話するための理由が不明であったり、その言葉が零れる地点までモチベーションが高められていないことがわかる。会話を主体とした戯曲を書く場合、台詞は自然と流れていかなければいけない。つまり、作者が顔を出してはいけないのだが、時々作者の力みが見えてしまうのが惜しい。
「中央区今泉」はこれだけの登場人物を上手に動かしているとは思った。登場人物それぞれの悩みを群像として描きたかったのだろうが、それにしては個々が抱えている人生の悩みがステレオタイプすぎる気がする。また、場所をタイトルにしているのであれば、その場所が変遷していく様子を見せるなどもう一つ仕掛けが欲しかった。もしくは、おしゃれな街だといわれている今泉と、そこで生活する人々の不器用さの対比など、何かしら
「ブスとたんこぶ」は会話も自然だし、人物配置が上手だと思ったが(特に基子と留美)、人物造形が固まり切っていない感じがした。特に喜子の変化などに感情移入することができなかった。
「戦うゾウが死ぬとき」は読みながら混乱した。なにかあるようで、それでいてそれが見えてこない。最初は分析的に読んでみたが、それでも整理がつかなかった。パズルのピースをはめるように理解する必要はないのだが、だとすれば、イメージなりがもっと立ち上がって来なければいけない。抽象で話を進める場合、ある諒解感は必要な気がする。読む側の問題もあるのかも知れないが、私には届かなかった。

畑澤 聖悟

2次審査に残った7本はどれも一定の水準に達していたと思う。しかしどれが大賞かというと首をかしげてしまった。決め手がないのだ。
最初、「浮いていく背中に」を面白く読んだ。既視感のある語り口だが、十分に世界の広がりが感じられた。身体へのこだわりがバック歩きの不自由感と相まって独特の閉塞感を現出させている。緊張のある空気がいい。多用される「出た。出てしまった」というような言い直しをはじめとする独特な言い回しは悪い意味に技巧的でルーティーンのようでピンと来なかった。
「ぼくの、おばさん」は熊本弁の語り口が魅力的。急一の独白がナレーションのように入ってくるが、何もかも台詞で説明してしまって行間がなく、窮屈な印象。最終的にはこの作品を推したが、大賞とするには残念ながら何かが足りない。
「戦うゾウの死ぬとき」は魅力的な筋立てであるが、終盤で夫婦の物語に落とし込んだ瞬間、スケールダウンしたように感じた。思わせぶりな展開だが世界が広がらないまま終わった印象。象や釘などのモチーフが作品に貢献してたかどうかは疑問。惜しい。
「終わってないし」は現実世界でのドラマがもっと見たかった。会話のリズム感には好感が持てた。
「ブスとたんこぶ」は「ブス」という単語を敢えてタイトルに使ったが、しかし喜子の問題は容姿上のつまりブスであるかどうかということではない。「たんこぶ」にも愛は感じられない。アイロニーにもなっていないので、これでは不快なだけではないか。全体的に悪くないと思うのだが、綺麗に揃いすぎの印象。不幸や貧乏がステレオタイプと感じた。
「中央区今泉」は地方都市における都市部と農村部の相克が浮かび上がってくるが、どこか浅い。登場人物がいい人ばかりでスリルがない。
「流れんな」は御都合主義な展開。企業の重大事を最もバラしてはいけない立場の人間に向かってペラペラしゃべるのはそれなりの理由が必要。ラストで何もかも解決してしまうのはいかがなものか。テーマ盛り込み過ぎ。

前田 司郎

昨年に引き続き、審査に参加させていただいた。候補作を全て読んで僕は困った。大賞に押せる作品がなかったからだ。全ての作品が綺麗にまとまっている。まとまっているのが悪いわけではないが、上手な戯曲なんて読みたくもない。書き続ければ嫌でも上手くなるのだ。一番上手い人を決める大会なら作家が審査する必要もない。下手でもなんでも才能が見たかった。技術は欲望を抑制するのではないだろうか。欲望を欲望のまま提示する方法もまた技術だとしたら、それが今回の候補作には足りなかったと思う。全ての作品をまとめて評するのは失礼だと思うが、あえてまとめて評する。ファミレスの料理みたいな戯曲に感じた。美味しくて安全。僕はこれじゃあ駄目だと思う。どうせなら毒が食いたい。僕が間違っているかも知れない。間違っていたら、五年後十年後に、僕はいないだろうから、それで判る。
皆さんには才能があると思う。小さくまとまらないで欲しい。糞みたいな戯曲でも良いから、作家の生の欲望が見えるものを書いて欲しい。僕もそこを目指して頑張ります。偉そうなことを言ってすいませんでした。でも、賞なんて糞食らえ、お前ら審査員なんかより俺の方が面白いに決まっているだろ、という気持ちで来年また応募してください。

受賞作品集
平成27年 北海道戯曲賞 作品集(PDF形式:1,266KB)   PDF
第1回 2014年度(平成26年度)
データ
募集期間平成26年8月4日~10月17日
応募数58作品
男女別
男性女性
36名22名
年齢別
10代20代30代40代50代60代70代
0名20名20名9名5名2名2名
都道府県別
北海道東京都神奈川県大阪府愛知県香川県福岡県宮城県埼玉県長野県兵庫県鹿児島県
20名16名8名3名2名2名2名1名1名1名1名1名
受賞作品等一覧
大賞 『悪い天気』 藤原 達郎
優秀賞 『乗組員』 島田 佳代
最終選考作品 『あなたとのもの語り』 粟飯原 ほのか (神奈川県)
『終末の予定』 福谷 圭祐 (大阪府)
『乗組員』 島田 佳代 (鹿児島県)
『薄暮(haku-bo)』 イトウワカナ (北海道)
『ムカイ先生の歩いた道』 加藤 英雄 (東京都)
『私の父』 戸塚 直人 (北海道)
『悪い天気』 藤原 達郎 (福岡県)
審査員一覧
長田 育恵(演劇ユニットてがみ座主宰)
斎藤 歩(札幌座チーフディレクター)
土田 英生(MONO代表)
畑澤 聖悟(劇団渡辺源四郎商店主宰)
前田 司郎(劇団五反田団主宰)
選評
長田 育恵

大賞作品は上演される、また作品を手掛ける演出家は既に決定している。これは、この新設の戯曲賞の大きな特色であると思う。大賞作には、上演されることでより一層世界観が際立つ可能性と弾力性が求められた。

私は「乗組員」「あなたとのもの語り」「終末の予定」を気に掛けて審査会に出席したが、それぞれの作品に魅力を放つ独自性を認めつつも、大賞に推すにはあと一歩及ばなかった。

「乗組員」の“波止場に無人の小舟が見つかる。乗組員は依然として行方不明”この不穏な通奏低音を作品世界に引き入れようとした着想に最も惹かれた。構造も端正。だが登場人物に共感させる引き込みが弱く、着想のスケール感を生かし切ることができなかった。「あなたとのもの語り」は主観と客観が切り替わっていく文体を刺激的に感じた。作者が意図的に俳優の身体性などに委ねる余白を取り込めば、演劇作品としてより一層の可能性を拡げたと思う。「終末の予定」は、既視感ある物語を、それでも惹き付け軽やかに読ませていくバランス感覚。けれどある既存の作品を自作の世界観を築くための柱としてしまったのは残念。作者の今後に注目したい。

受賞作「悪い天気」は台詞・語感のセンスが卓抜していた。日常の言葉が作者の選択と巧みな配置により見慣れない輝きを帯びはじめ、観客を日常とは似て非なる異層にある作品世界へと導いていく。特に冒頭の男女二人の台詞、掛け違いの言葉を重ねながら二人の関係性へ興味を引き込んでいく誘因性には静かな興奮を味わった。しかし中盤以降、新たな登場人物が現れても劇世界に大きな影響が与えられない点と魅力ある会話を重ねながらも作品が秘めた核心にいつまでも触れられない点にもどかしさを感じた。

しかし同時に、その点にこそ演出の前田さんの手によって新たな鉱脈が発見される期待感を煽られる。演出家との対話によって開かれうる戯曲。この戯曲賞ならではの第一回大賞として、こうした作品と巡り会えて嬉しく思う。

斎藤 歩

まず、残念ながら大賞に推せる作品がないという印象から私の今回の選考は始まりました。しかし、折角の北海道戯曲賞であり、今後前田さんの演出により、リーディング~本公演に至る過程での劇作家と演出家のやり取りを経て、改善してゆく余地や可能性を考慮し、私は「悪い天気」を推しました。
最終選考に残った7作品の中で群を抜いて台詞の巧みさや、上演した場合の面白みに可能性を感じました。果たしてこれを前田さんはどう演出するのだろうかと楽しみに思えた作品はこの「悪い天気」だけでした。他の作品はその結果が簡単に想像できてしまうように思えたのです。

結果、九州からの応募作品2作品が大賞・優秀賞に決定したことは、この北海道戯曲賞の特色を現わしたということでもありますが、北海道の劇作家の作品2作品がいずれもこのレベルに達していなかったことが残念でもありました。戸塚さんの「私の父」は実に生真面目で、バカが付くほど正直に書かれている印象の作品で好感が持てたのですが、構成や台詞が他に比べると稚拙な印象があり、〈父と娘〉の微妙な葛藤を描き切れていないと感じました。イトウさんの「薄暮(haku-bo)」は戯曲としての新たな形式に挑戦したように見えたのですが、自身で演出するのではなく他の演出家に委ねた場合の戯曲としての自立と言う部分では脆弱で、場面の構成が〈薄暮〉というイメージに戯曲単体では迫れていないと感じました。今後、北海道から大賞受賞者が現れることを期待する意味でも、このお二人には今後も積極的に書き続けて行って欲しいと思いました。

一つとして似通った戯曲がなく、様々なタイプの戯曲が最終選考に残り、そのすべてについて可能性を議論した4名の劇作家・演出家との議論はとても豊かな時間でした。北海道戯曲賞とはどういう戯曲賞であるべきかという根本から議論することのできた有意義な経験でした。応募作品全ての下読みという大変苦労の多い仕事をしてくださった北海道在住の演劇人たちにこの場を借りて感謝の気持ちを顕わしたいと思います。同時に、数多くの劇作家がいる中で今回のこの5名を審査員に選んでくれた北海道舞台塾実行委員会の方々にも感謝しています。

土田 英生

候補作を読み終わった段階では、福谷圭祐さんの『終末の予定』か島田佳代さんの『乗組員』を大賞に推そうと思っていた。

『終末の予定』は地球が終わる最後の一時間、限られた登場人物たちの過ごす時間を描いた作品だった。諦観したようにすら思える人々の有様にはリアリティーがあり、それこそハリウッド映画などに出てくる登場人物とは真逆のベクトルで存在する彼らに親近感を覚えた。唯一気になったことは、作品として普遍化するには至っていない部分が散見されることだった。例えば劇中、ゲーム「ピクミン」をやっている男が出てくるのだが、この場合、ピクミンという、実際にあるゲームが持つ哀しさを知らなければ、効果は半減してしまう。固有名詞を出す場合はそのことに繊細であるべきだと思う。あの使い方では作者の皮膚感覚を理解できるのは、ある特定の共通ルールを持った人たちに限られてしまう。万人に分かるように書くということではなく、押し通すのであれば、それなり仕掛けを考えるか、そのようなことを全く気にさせない強い腕力が必要となる。他の審査員メンバーから出た否定的な意見は、その世界の狭さを作者の開き直りだと受け取った結果ではないかと感じた。

『乗組員』は最も完成された作品だと思った。素直に読むことができたし、なにより劇世界としての破綻も少なかった。ただ、そのことが逆に物足りなかった。島田さんの力量はよく知っていたので、もっと熱量を感じたかったというのが正直な気持ちだった。

藤原達郎さんの『悪い天気』だ。とにかく台詞が抜群に面白かった。不条理な会話ではあるのだが、そこには理屈ではない実感があった。これは相当なセンスがなければ書けないと唸った。途中、はっきりと失速する部分はあるし、会話の流れに無理が生じて、作為的になってしまっているのだが、それを補って余りある台詞とイメージの力があった。

他の作品についても個々に思うところはあるのだが、上記の三作品と比べた時、やや力の差を感じた。

畑澤 聖悟

『あなたとのもの語り』を特に興味深く読んだ。二人の人物の主観がめまぐるしく入れ替わることで夫婦の関係性が浮かび上がってくる。ナレーションも回想も同じ仕掛けでやり切る潔さに感心した。しかしその反面、全体のトーンとリズム、ダイアローグとモノローグの切り替えの規則が常に一定で単調になってしまった。風景も感情もなにもかもびっしり隙間なく書き込まれているため、単調さが倍増する。何を書かないか選択することも必要だったと思う。終盤に別の展開を用意する戦略もあったはずだ。長い台詞が多用されているが、生身の俳優が語ったときに面白いかどうかは疑問。成立させるのには骨が折れそう。以上の難点から大賞に強く推せなかったが、それでも魅力にあふれている。全体を覆うささやかでけだるい幸福感が捨てがたい。作者の今後に大きな可能性を感じる。

『終末の予定』はやり尽くされた感のある題材を生殖というテーマで描いた。手慣れた感じがあり良くまとまっているが、技巧が先に見える印象。技術もセンスもある。もっと広い世代に受け入れられるものも書いてみてはどうか。

『乗組員』は雰囲気のある作品であり、小さなコミュニティの閉塞感を良く伝えていた。主人公の妻の「幸福への恐怖」には残念ながら共感することができなかった。

『薄暮(haku-bo)』は札幌という固有の都市を薄暮という時間で切り取った。こういう作品が札幌で生まれたことは喜ぶべきことだが、別に他の都市や他の時間であっても構わない内容。どの土地どの時代にも通用する普遍性は置き換え不能な必然性から生まれるのではないか。三つのエピソードも羅列しただけの感が強い。薄明薄暮性動物の設定も生かされていない。もっと力のある書き手だと思うので、今後に期待したい。

最終的に推したのは『悪い天気』であった。台詞が抜群に巧い。才能を感じる。終盤の展開に若干の物足りなさを感じるものの、演出によって大きく印象が変わるのではと思う。上演が楽しみである。心からおめでとうございます。

前田 司郎

自分も書き手であり、自分の作品は自分で評価すべきだと思っているから、これまでは戯曲や小説の審査をしてこなかった。今回、初めて戯曲の審査をしたのは、依頼されて嬉しかったからだ。これが初めての審査員の依頼だったのです。

あまり長々と書くわけにはいかないので、書けるだけ、感想と評価を書いていく。

「乗組員」全体としては好感を持って読んだ。作者のセンチメントに寄り添いすぎている印象で少し疲れた。晴れ間が覗く瞬間がもう少しあってもいいのでは? しかし説明の簡潔さ清楚さから、物語の外に世界の広がりを感じた。僕はこの作品を三番目に押した。

「ムカイ先生の歩いた道」もう少し整理して書いて欲しい。無駄なシーン、人物が多い気がする。無駄には良い無駄と悪い無駄があると思う。ただ、とても楽しそうに書いているなと言う印象。しかし、観るほうはどうだろうか? 作者と観客が一緒に作品を楽しむには、観客の話もきく必要があると思う。

「悪い天気」この作品を一番に押した。会話の面白さ、発想が良かったと思う。ただ、もう少し親切でも良かったのでは? 観客は物語の先を行こうとする。作家はそれをさせまいとする。その競争がスリリングなほうが面白いと思う。作者が突っ走ってついていけない。何か、この物語の奥にあるものを暗示するヒントのようなものをもう少し置いておいて欲しかった。

「あなたとのもの語り」舞台に乗せるイメージがしっかり出来ていただろうか? 出来ていたとしたら観客の我慢強さを信じすぎじゃないだろうか? 構造の面白さは感じたが、戯曲のもつ生き物のような躍動感は感じ辛かった。

「薄暮(haku‐bo)」戯曲賞なので、戯曲として読んだ。戯曲として読みにくかった。飲み屋で良く知らない人の話を延々聞かされている感じ。話し方(この場合は上演の仕方)が面白ければ聞けるかも知れないが、戯曲なので僕は高く評価しなかった。

「私の父」まじめで好感がもてた。どこかの公民館で講演を聴いているような内容。無駄な要素をもう少し入れたらどうだろうか。しかし、「俺が俺が」という作者のでしゃばりが感じられず読んでいてホッとした。僕は二番目にこれを押した。

「終末の予感」終末の肌触りを感じられなかった。終末という設定が作者のニヒリズム(読んでいて照れ臭い)を宣伝するシステムになってしまっていないか? また既存のゲームからの引用が作品の中で占めるウエイトが重過ぎると思う。他人の作品に頼っているように見える。僕は高く評価しなかったが、評価している方も居て、面白いなと思った。

まとめ。北海道戯曲賞、是非毎年やってください。演出家の仕事は信じること、劇作家の仕事は疑うことだと思っています。本当にこれが自分の一番面白いものなのか? 書きあがった戯曲をもっと疑ってみてください。僕は良い事言いますね。全くその通りです。自分もそのようにしないと。自戒。

受賞作品集
平成26年 北海道戯曲賞 作品集(PDF形式:6,168KB)   PDF
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